子供と作文に関する覚書

※ こちらはマツさん主催の批評誌『Silence vol.1』(特集・私と子供。私の子供。私も子供)に寄稿した評論です。

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 フィリップ・アリエス『子供の誕生』によれば、大人への発達途上の存在としての「子供」という概念が誕生したのは、十七世紀以降であるという。それ以前には、子供は体力や体格の面で成人に劣る「小さな大人」と捉えられていた。心身ともに未成熟で、大人の保護と精神的・身体的涵養を必要とする「子供」、大人とは異なる存在としての「子供」という考え方は、実はそれほど古いものではない。
 『子供の誕生』によれば、子供と大人を別物として分かつ決定的な画期は、学校制度の成立だった。学校は、ある一定の年齢層を大人から引きはがし、発達段階を考慮して教育を行う。発達途上の存在である子供、より正確にいうならば、青少年期はここにおいて誕生した。それ以前に教育機関の代わりを果たしていたのは徒弟制度であったが、ここでは子供たちは「小さな大人」と捉えられていたし、教育は職業訓練の一環として行われていた。
 本稿では、アリエスによって示された命題について、では日本ではどうだったのか? ということを考えてみたい。とはいえこれでは広すぎるので、考察の対象を作文及び作文教育に絞って考える。なお「覚書」の題名通り、これは評論というよりは、上記の問題意識から参考資料を集めたノートのようなものであることをご容赦いただきたい。

 

「少年」ということ

 田嶋(一九九九)によれば、明治期の日本では、少年と青年という概念は、現在のように必ずしも成長段階の区切りを踏まえた一組の概念として使用されておらず、しばしば「少年」という言葉は現在言う青年層までも包摂した用語として使用されていた。田島氏は、明治二十九年創刊の『少年世界』(博文館)の調査を通じて、「少年」が「中年」と組になった語として、勉学の途上にあるもの、知的成熟の前段階を捉えたものとして使用されていたことを明らかにしている。この時期には「青年」概念は未成立であり、「少年」は、修養時代の二十歳前後までの若年層全体を示す用語として使用されていたのである。
 さて、この『少年世界』の目玉は、なんと言っても作文投稿欄であった。明治期においては、文を書くことは、自己表現としても立身出世の道具としても、現在よりはるかに重く捉えられていたのである。投稿雑誌は明治初期から複数刊行されており、十歳前後から二十歳過ぎまでを含む多くの若年層がこれらに作文を投稿している。しばしば賞品つきの懸賞作文の募集も行われていたが、投稿者たちが作文を書き、出版社へ送った一番の動機は、自分の意見を全国へ向けて発表できるということであった。明治前半においては、作文教育の主役は学校ではなく、私塾等の学校外の教育施設での学習であり、雑誌への投稿であった。
 では、こうした雑誌に投稿された作文はどのようなものであったか。明治十年に創刊された『穎才新誌』は、明治二十〜三十年代に隆盛を迎えた若年層向けの投稿雑誌の走りであるが、ここに掲載されている作文は、そのほとんどが「大人」のものであった。すなわち、当時の知識人が使用していた漢文訓読体による、堂々たる論説文・紀行文等である。

老梅謝シテ春季将ニ去ラントス一日風微ニシテ日霽ルニ会シ友人ト共ニ品川沖ニ立干ヲナサントス時ニ風軟ニシテ海貼ス軽舟ヲ浮ベ潮ニ乗ジテ纜ヲ解キ舟中酒ヲ置キ以テ退潮ヲ俟ツ既ニシテ潮退クヿ殊ニ速カナリ乃チ船中ヨリ出デヽ魚介ヲ捕フ兒女欣々トシテ裳ヲ褰ケ砂ニ走ル(以下略)
(『穎才新誌』第百十五号、明治十二年五月十七日発行)

 これを書いたのは東京在住の十三歳男子である。このような作文がいくつも投稿されており、年齢も十代前半、しばしば十歳前後の児童もいる。そのくらいの年代の手になるものとしては、現在の感覚からすれば背伸びの感があるが、当時としてはこれは特段不思議なことではなかった。

 

 

江戸時代の教育と作文

 日本における近代教育制度は、明治五年に発布された学制に端を発するが、無論これによって近代教育制度が整備されたわけではない。むしろ、学制から二十年ほどは、「近代教育制度」にどういったカリキュラムが必要なのか、教科書すらないままに始められ、様々に模索が重ねられた制度形成期であると言える。この時期には、当然のことながら、学校教育と言っても、近世のそれの延長のようなものが多く、教科書も寺子屋等で使用されていたものが引き続いて使用されるケースも多々見られた。
 先に引用した『穎才新誌』に投稿された子供たちの作文が「大人」のものであったというのは、近世の状況をそのまま引き継いでいるということである。近世においては(そして明治維新後しばらくも)現代にあるような子供向けの教科書は、いろはや千字文等のごくごく初歩的なものを除いてほとんどない。例えば、士族階級の子供たちは、『論語』をはじめとした儒教の経典を学ぶ。学ぶ際には、素読と言って「経典の丸暗記」という方法がとられる。句読師と呼ばれる先生役が、白文、つまり返点や送り仮名のない漢文の本文を指し示し、数文字ずつ読み方を教える。その後に暗唱させ、つまづいたところはまた覚え直す。これを本文全て丸暗記するまで繰り返す。その際、意味は教えない。それは暗記が済んでから行われる。こうすることで、子供たちは漢文訓読体の型を体で覚え込んだのである。上に引用した『穎才新誌』における漢文訓読体は、こうした丸暗記式学習法すなわち素読によって身につけたものである。こうした訓読体による作文は、漢文体による作文の前段階的な学習法として位置付けられていた。
 なお、士族以外、庶民については、教育方法が明らかでない部分も多いのだが、初歩のいろはや名頭・名尽等で基本の文字や短文・短句を習得した後は、「往来物」と呼ばれる手紙文の手本集によって習字と共に手紙の書き方を学ぶ。これはいわゆる「候文」であり、形式に則ったビジネス文書に性格は近い。これもまた、先に触れた『少年世界』等において、投稿作文欄にいくつも見出すことができる。
 すでに述べたように、明治においても近世の学習形態は継続されており、学校教育でも訓読体や候文による作文教育が行われている。ただし、学校教育は、「国民皆教育」の理念のもとに一括された教育課程や、そもそものカリキュラムの模索期であることから、士族・平民の両方からしばしば不満を持たれていた。彼らの不満を受け止める場所が私塾であり、投稿雑誌だったのである。

 

 

文体及び内容の変化


 こうした状況は、明治期後半に変化を迎える。岩田(一九九七)は、『少年世界』の投稿作文について、第五巻(一八九九)から第十六巻(一九一〇)までの文体を分析し、一九〇三年頃の誌面における言文一致体採用を契機として、文体が従来の漢文訓読体や擬古文体から言文一致体(口語体)に変化していることを明らかにしている。岩田氏は、この変化の背景に、少年を無邪気で天真爛漫な存在として捉える編集部の「少年観」の変化があると論じている。一九〇三年の『少年世界』第八巻には、誌面における言文一致体の採用が述べられているが、ここでは「青年諸君」による「空文」に対して、言文一致体が「天真爛漫修飾なき実地の文章」として位置付けられている。このことは、前に触れた「知的成熟の前段階」全体を包括する「少年」概念が、十代半ばまでの「少年」とそれ以降から知的成熟途中の「青年」へと分化したことを示しているのみならず、「少年」読者に対する「天真爛漫修飾なき実地の文章」の書き手という編集部の意識も反映している。岩田氏の指摘するように、『少年世界』の読者は、こうした編集部の視線を内面化して、自分達よりも少し上の世代が書いていた漢文訓読体ではなく、幼稚で「天真爛漫」な言文一致体による作文を執筆したのである。
 さて、この変化は、『少年世界』編集部にのみ起こったことではない。滑川(一九七七)によれば、明治二十年代には文体の多様化が顕著になり、これに対応して「正しい文章」の基準も多様化する。先に引用した漢文訓読体や候文は、権威はまだ維持しつつ、その位置付けは次第に下落していく傾向にあった。また、学校教育においては、ヘルバルト派を援用した自由発表主義の作文教育が次第に重要な位置を占めるようになる。これは、児童の自発的な活動や経験を重んじ、その養成と発表の手段として作文を位置付けるものである。児童の経験を重んじるならば、文体は難しい漢文訓読体ではなく、口語体(言文一致体)へと変化するのは必然であった。明治末頃には、です・ます調の口語体作文が普及するようになる。
 作文の内容や題材もまた、児童の経験に即したものが選ばれるようになる。先に引用した『穎才新誌』に代表されるように、明治期前半においては、作文の題材はしばしば男女同権論といった社会問題も含まれていたが、この時期には、児童個人の経験を「すなおに、のびのびと」執筆することに価値を置かれるようになる。この時期が、日本の作文及び作文教育における、「子供」の出現であった。

 

 

江戸時代における教育の性質


 口語体による作文が一定の地位をしめると、それ以前の作文やその文体は「空文」として退けられる。上に引用した『穎才新誌』の作文においては、「舟中酒ヲ置キ以テ」という表現が見られるが、これは必ずしも十三歳の少年が飲酒していたということを意味しない。当時の作文とは、漢文体や漢文訓読体における一定の「型」を踏襲するものであり、先人の残した良文を模倣することが作文修養の方法だった。当時の作文の参考書とは、基本的に模範文集であり、しばしばこれに季節やシチュエーション別に分類した定型句集が付属する。同引用文の冒頭にある「老梅謝シテ春季将ニ去ラントス」も、そうしたフレーズ集からの引用であろう。繰り返すが、こうした模範文の模倣が当時の作文においては正攻法として位置付けられていたのであり、当時からその空疎さは批判されていたとしても、それは「模倣」で止まってしまうことが問題なのであって、若年層が内容も分からずに模範文をまねること自体はそれほど問題とはされていなかった。模倣による作文練習は候文においても同様であり、こちらはビジネス文書の性格が強い分、フレーズのつぎはぎという側面はより大きくなる。
 こうした作文及び作文教育の形式は、それを社会の側が求めていたからに他ならない。これらが明治において「空文」とされたのは、文を書く行為に対する社会的要請が変化したからである。では、江戸時代における社会的要請とはどのようなものだったのか。これは複数存在するが、そのうちの一つは、身分=職業に応じた必要な知識を身につけることである。
 漢文(変体漢文含む)や漢文訓読体は、士族階級におけるコミュニケーションや行政に使用される文体である。つまり、『論語』等の経典を学ぶことは、精神修養であると同時に、将来の職業に必要な知識を身につけることであり、実際の役に立たない文章という意味の「空文」とは対極に位置するものだった。江戸後期には、豪農の子供も経典を学ぶケースが増加するが、これは、村落共同体において、農民と支配層とのいわば中間管理職として、「お上」からの通達を伝えたり、年貢の計算やその報告等の統治行政を豪農が分担していたからである(ルビンジャー、二〇〇八)。やはり教育は職と密接に関係していたのであり、純粋な教養のためではない。士族以外の町人層もこれは同様である。木村(二〇〇六)は、江戸中期以降に盛んになった読書算以外の稽古事は、娯楽や趣味だけでなく、商売相手や同業者との交わり等の社会生活における交際に必要な実用的な活動でもあったことを指摘している。橋本(二〇二〇)によれば、読書算及び稽古事は、家の方針や学習者の意思を踏まえ、家の営みの一環として行われており、子供たちは、場合によっては複数の塾を組み合わせてパートタイム式に学習を行っていた。

 

 

教育制度のなかの子供


 こうした学習形式や内容は、学校教育というよりは、徒弟制度におけるそれに近いものではなかったかと私は考える。民営の寺子屋や手習塾だけでなく、江戸時代には藩校という公営と言えるような学習機関も存在しているが、前節で触れたように、それは身分制度下において、半ば決定されている将来の職業のための知識を身につけるためのものでもあった。「童蒙」「初学者」のような区分はあったにせよ、それはあくまでもテキストや技能習得の最初期の段階を示すものであり、発達に応じた段階的な教育課程の存在を意味するものではない。寺子屋や藩校といった江戸時代における様々な教育施設は、身分制度と支配形態の安定により、徒弟制度における教育の側面が、店や師弟といった個々の間柄におけるものから、村落や都市社会といった相対的に大きな共同体内部において延長・機能特化されたものであると言える。
 一方、近代教育制度における「子供」像もまた、社会的要請から免れていない。上に引用した岩田(一九九七)にも指摘されていたように、『少年世界』投稿者は編集部の「天真爛漫」な子供というイメージを内面化して作文を書いていた。誌面掲載、または懸賞という直接的な報酬がある分、『少年世界』における内面化の要請とその過程は見えやすいが、こうした状況は雑誌に限らず、あらゆる局面において発生していただろう。
 のびのびした「子供」像は、日本では学校教育制度の形成が完了して以降のある時期から登場する。それは、発達理論を欧米から導入したことによって、発達途上段階に応じた教育の重要性が認識されたことの反映であるが、その裏返しとして、そうした「子供らしさ」が評価の一視点として教育体系へと組み込まれたということでもある。発達途上の子供という考え方は、子供の心身の成長に沿った教育の整備を促すと共に、ある意味では、発達途上にある個人を「子供らしさ」という枠組みへ入れてしまうことにもなった。
 科学的事実に基づいて教育課程を考案したとしても、教育は、社会/政策/テキスト/教員/授業の内部において、様々な価値判断が入り込まざるを得ない。再びアリエスの論に戻れば、「子供」を出現させたのは学校教育であるが、それと同時に新たな「子供」のイメージを被教育者に対して投影することにもなる。むしろ、アリエスも図像や言葉の用法から「子供」期の出現を探っているように、それは常に見る側の、すなわち大人の側の問題なのである。本人たちがそれを説明する方法を持たない以上、「子供とは何か」という問に対して答えようとする行為は、そうした側面を多かれ少なかれ含むものである。

 

参考文献
アリエス、P.(一九八〇)『〈子供〉の誕生』杉山光信、杉山恵美子訳、みすず書房
ルビンジャー、R.(二〇〇八)『日本人のリテラシー 一六〇〇年−一九〇〇年』河村肇訳、柏書房
岩田一正(一九九七)「明治後期における少年の書字文化の展開―『少年世界』の投稿文を中心に―」『教育学研究』六十四巻四号、一〜十ページ
木村政伸(二〇〇六)『近世地域教育史の研究』思文閣
田嶋一(一九九四)「『少年』概念の成立と少年期の出現―雑誌『少年世界』の分析を通して―」『國學院雑誌』九十五巻七号、一〜十五ページ
滑川道夫(一九七七)『日本作文綴方教育史1 明治篇』国土社
橋本昭彦(二〇二〇)「手習塾から小学校へ」『明治の教養 変容する和漢洋』勉誠出版、九三〜一二二ページ
『穎才新誌』復刻版、不二出版
『少年世界』復刻版、名著普及会
江戸時代の教育については、以下の文献を参考にした。
石川謙(一九六〇)『日本歴史新書 寺子屋』至文堂
竹田勘治(一九六九)『近世日本学習方法の研究』講談社
辻本雅史(一九九九)『学びの復権 模倣と習熟』角川書店

 

 

あしなが育英会 親を亡くした子供、障害などで保護者が十分働けない家庭の子供を支援する民間団体

www.ashinaga.org

おてらおやつクラブ 大阪二児置き去り事件と大阪母子餓死事件をきっかけに創設された一人親家庭支援団体

otera-oyatsu.club

痕跡 大山崎山荘美術館+後書き

※ こちらはギャラリー&本屋「犬と街灯」店主・谷脇クリタさん主催の『みんなの美術館』に寄稿したものです。大山崎山荘美術館について書いたエッセイでしたが、改題し、注と後書きをつけた上で公開します。
 『みんなの美術館』は新型コロナウイルスが流行し、文化施設も休館を余儀なくされた2020年に企画された「推し」の美術館を語るエッセイ集で、総勢27人が参加、27館の美術館が紹介されました。

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 モネの作品に「エトルタの朝」というのがある。エトルタはフランス北部、ノルマンディ地方の奇岩で知られる海岸で、モネは生涯に幾度かそこに逗留し、複数の作品を残している。
 「エトルタの朝」はそれほど大きな作品ではない。私でも抱きしめられるような大きさ(注:恥ずかしながら完全に記憶の中の印象で書いていたため、実際にはそれほど小さくはない。ここは私が3mくらいある設定で読んでいただければ幸いである。)のカンヴァスの、右側は砂浜とその奥に崖、左側は朝焼けの空と打ち寄せる海が描かれている。前に立って絵を眺める。じっと見つめていると風景は絵の具に分解され始める。緑、青、ピンク、黄色、橙、その他色々の絵筆の跡を目で追っていると、ある瞬間にぴたりと統合してエトルタの風景に戻る。朝焼けの空が美しい。太陽は見えないけれども崖の側面が明るい色に輝いているので陽がその向こうにあるのだと知れる。空は薄い青とピンクとエメラルドグリーン……とかやっているとまた風景が絵の具になっていく。
 こんな具合で、ゆやゆよと、絵の具と風景画の境目をたどる遊びをずうっとやっている。どこで、というのは、山荘美術館の地下である。大阪と京都の境にある美術館で、正式名称をアサヒビール大山崎山荘美術館と言う。
 大山崎山荘美術館は、関西の実業家・加賀正太郎の建てた別荘を改築し、安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」と「夢の箱」を加えて作られた。本館の別荘は重厚な近代建築で、建物自体が一つの作品のようである。天井近くの濃いこげ茶の柱には家紋や筍模様が彫り込まれている。一階展示室のステンドグラスはモダンなマーブル模様、かと思えば向かいの壁に古代中国のレリーフがマントルピース代わりにはめ込まれている。方や安藤忠雄設計の二つの展示室は、周囲こそ庭木で装飾されているものの、本体はモノトーンと直線を組み合わせた、素っ気ない、と言えるほど飾り気のない建物だ。
 この安藤忠雄設計の二つの「箱」と山荘は、全く調和していない。反発している、とまでは言わないが、混じり合わない。お互いがお互いとしてそこにいる。ドア一枚を隔てて別の世界が広がっている。細い糸のあっちとこっちを引っ張りあいながらも切らさない、そんな緊張を、ドアを開けて敷居を跨いだときに感じる。
 以前、学芸員の方のお話を聞く機会があったのだが、全くテイストの異なる建物を組みあわせている故に、展示品には気を遣うと言う。装飾の多い山荘は言わずもがな、安藤忠雄の「箱」の方も、何でも置けるというわけでもない。山荘の展示棚に置けば二つとない存在感を放っていた作品が、「箱」に置かれるとその輝きを失う。逆もある。山荘に置くと喧嘩してしまう作品も、「箱」の中ではのびのびと輝いている。
 「地中の宝石箱」はその名の通り地下にあり、採光用の窓を大きくとった階段を降りて、自動ドアを潜ると円形の展示室に入ることができる。自動ドアと展示室の間には障壁があって外の光が入らない。ここにはモネをはじめ、ピカソやルオーといった二〇世紀の画家たちの絵が飾られている。最初に述べた「エトルタの朝」もここに飾られている。「宝石箱」中央には背もたれのない椅子が三脚置かれており、そこに座って好きな絵といつまでも向き合うことができるようになっている。美術館なので当たり前といえば当たり前だが、窓のない部屋で、平日の午前中などに行くと人の出入りも少ないので、時間を忘れて、というよりは、時間から遮断されて、絵に没入することができる。
 山荘と相性のいい美術品は、なんと言っても陶器であろう。山荘が加賀正太郎の建てたものであったことはすでに述べたが、加賀はこれを朝日麦酒株式会社(現アサヒビール株式会社)初代社長・山本爲三郎に託し、これが美術館の前身となった。山本は柳宗悦らの民藝運動の支援者であり、陶器や家具のコレクションを有していた。というよりも、いくつかは実際に使っていたらしい。収蔵品の中には、欠けがあったり、揃いの食器の数が足りないものが含まれる。はっきりとは見えないが、そこにはかつての生活の痕跡が残っている。
 そういえば、山荘にも人の痕跡が残っている。錆や凹み、剥がれた塗装という形で、誰かの手が触れた跡が、ドアノブや手すり、窓枠に残っている。「安藤忠雄っぽさ」すら削ぎ落としたような「宝石箱」の展示室から戻ると、人の過ごした年月の痕跡がモワッと顔にぶつかってくるような気がする。
 展示を一通りまわり終わって疲れた時は二階へ行く。山荘美術館の二階には喫茶室があり、企画展にちなんだケーキが食べられたりする。今(注:2020年)はコロナウイルスの影響で閉室しているが、コーヒーのおいしい喫茶室で、テラスに出れば大山崎の町が見渡せる。
 ところでこの喫茶室にも、なに食わぬ顔をして収蔵品が飾られている。大きな皿で、年に四回入れ替えがある。コーヒーの香りとおいしいケーキ、心地よい疲労と展示の反芻、まとまりのつかない雑念の中で、紺色の格子の引かれた大皿が、静かに、浮かび上がるように佇んでいる。

 


【後書き】
 我ながらうまい悪口だな、と思っているのが「資本のきらめき」である。これは所用で代官山に行ったときに「資本のきらめきがすごいな……」という感想を抱いたことに由来する。金回りの良さを感じさせつつ金のギラつきはない。生活の泥臭さとは別に存在する豊かな場所。ああ、資本のきらめきよ! 同様のきらめきは梅田のグランフロント近辺などにも感じる。
 「不要不急」というキャッチフレーズで文化施設やエンタメ業界が「自」粛をせざるを得なくなったあの時期から、政治の存在感は悪い意味で増している。維持や保全には予算が割かれず、その割に税収は過去最高、という報道を毎年のように見かける。維持や保全に関心がないんだろうなあこの人たちは、というのは、インフラ維持にも通じる態度——政府の制度設計から透けて見えるロジックだ。
 今年(2026年)3月、国立美術館・博物館に収益目標が課せられるという報道がなされ、批判を浴びた。これ自体は展示に関する目標であり、収集・研究には別途公的補助がある。そのため一面が強調されすぎて報道されたという側面はあるものの、やはり「ほんまか?」と思う。「ほんまか?」というのは、「ほんまにそれで済むんか?」という警戒心である。何しろ本邦とは生まれた時からの長い付き合いなので、「ほんまにそれで済まなかった」という事例を山ほど見ている。消費税とかその使い道とかの記憶があるので警戒せざるを得ない。
 警戒の中心を言語化するとこうなる。「文化財は、そして私たちもまた、資本をきらめかせるために存在しているのではない。
 金の回りのいい場所というのは綺麗でオシャレだ。さあ金を得よう金を使おうここは金があるのだとギラついている訳ではなく、どことなく上品な余裕すら感じさせる。金の存在感はありありとありつつ金にまつわるギラつきはない。そういうものを「豊かさ」と取るのはわかる。しかし、それだけが「豊かさ」ではない。
 「100分de名著」の『資本論』(解説斎藤幸平)で、こんな感じの解説があった。

「市場での競争やお金儲けになじまない分野というのはある。なぜなら、本来富と商品は別物だから」

 ここで言う「富」は上下水道や道路、文化施設、あるいは有形無形の様々な能力や知識、空気や水のような自然環境など、インフラを含む非常に幅広いものを指す。国民皆保険や高額療養費制度といった社会保障制度もそうした「富」の一つだ。
 資本主義の中では、社会のあらゆる「富」は商品として捉えられる。つまり、「お金の交換対象」になってしまう。「お金の交換対象」として見るならば、上で挙げたようなものはお金を稼ぐ上で非効率的だ。しかし、生活や人生の基盤のためには重要なものだ。
 「豊かさ」とは、資本のきらめきだけを指すのではない。「富」がいかに充実しているかというのもまた豊かさの一つだ。そして「富」は本来商品にならず、維持や保全が必要だ。国家や自治体といった公的機関の存在意義はここにある。つまり、「富」を維持し、保全し、商品を買う能力の寡多という意味ではない、別の豊かさを社会の中で継承していくこと。
 「金回りのいい場所」の豊かさとは、商品価値の高さである。それでこそ輝ける分野ももちろんある。しかし、全てがそうではない。そして、金を理由にして「富」に手を入れようとする時、本来ならば社会全体の財産であるはずのものを売っぱらい、それを豊かさだと勘違いしている、ということがあり得る。
 資本の受益者は一部の利害関係者である。しかし、「富」はみんなが益を受け、それを持ち、その中で生活を充実させていくものだ。私たちは、社会で継承された「富」の中で豊かに生活をする権利がある。私たちの生は決して資本をきらめかせるためにあるのではない。つまりここに暮らす、あらゆる「私」、子供から老齢まであらゆる年代の、近代的戸籍制度発足以来使われている男女という枠組みで捉え切ることができず、障害を持っていたりいなかったり、病になったりならなかったり、国籍やルーツが一様でなく、収入もさまざまで、生活の仕方も同じではない「私」たち。
 「資本のきらめき」というのがうまい悪口だな、と自画自賛するポイントは、それが人の目をくらませるからだ。「金に目がくらむ」という言い方があるが、現代ではもう少し複雑だ。それを美しくきらめかせることが「いいこと」だと、倫理や道徳に取って代わって「善」となり、目の前の人間が――あるいは自分自身が、生きていて、その幸福を保障されるべき存在であることを容易に忘れさせる。
 現在の社会で、金や資本から逃れて生活することはほとんど不可能だ。しかし、資本をきらめかせてえらい、とか、資本をきらめかせられないなら、まあ、諦めなよ、みたいな、そんなふうに扱われていいはずがない。
 「商品」と「富」の衝突、その最もたるものは軍需産業であろう。そこで「益」を受けるのは誰なのか? 「富」を含めた大量の破壊を可能にするものを売買して、誰が「益」を受けるのか?
 防衛という言葉を素直に受け取るべきではない。破壊兵器の需要(クソみたいな単語の組み合わせ)は限られている。一般人がホイホイ購入できるものではない。それほどの巨大な資本を動かせるのは、国家になってくる。
 そして、民主主義制度下の国家の仕事が(一応理念上は)国民の選定を受けた代表者により、国民の要請を実現するものである一方、戦争はそれとは逆に、国家が国民にやらせるものである。戦端は一般市民には開くことができない。そしていざ始まれば何がどうすっ転んでもどでかいダメージを被ることになる。だから、国家の側の人間が安全保障を口にする時、真っ先に来るべきは「守りたい」ではない。「強くする」でもない。「させない」であるはずなのだ。それが私たちにとって最も「益」のあるものであるし、侵略と植民地支配という暴力の歴史を抱える私を含む「普通の日本人」にとって、「させない」という言葉は非常な重みを持つはずだ。
 国家と自分たちは同じ主体ではない。同じ気持ちではない。権力を持った人間は暴走するし、権力以外を搾取しようとする。それをやりやすいように自分たちの権限を強化・拡張しようとする。だから憲法があり、国家の権力を人権という観点から縛っている。政府や内閣には職務上必要な権力が与えられているが、しかし一番偉いわけではない。主権在民なのであるから、それらに対して権力を持つのは本来私たちだ。監視と軌道修正の責任を持つのも私たちなのだ。「富」の継承のためには、「継承する」という意思を持って動く必要がある。
 動くっていうのは、そりゃ面倒くさいし大変だし、私だって本当なら家で寝ていたい。しかし国家や首相の決定に異を唱えることなく、その枠内で粛々と物事を進めるのは、実は粛々ではない。唯々諾々である。そうしているうちに私たちの生は、資本や権力をきらめかせるために利用されるだけのものに成り下がってしまう。
 権力の利害と私たちの利害は一致しない。アメリカに依存し、沖縄に負担を押し付ける今の形は変えていかねばならないが、あるべき議論をすっ飛ばす権力の主導による変化は、そうした方向とは別物である。改憲を軽々しく口にする首相のいる現在、この憲法記念日に、もう一度、権力の側からの「改憲」は警戒するべきである、と言う。

 


参考記事:もにょまりえ「国立博物館・美術館に収益目標を課すことの問題——報道の整理と、懸念」

note.com

自民と維新が改憲して入れたがっている「緊急事態条項」に関する資料
「緊急事態条項って必要なの?」(日本弁護士連合会)

https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/jfba_info/publication/pamphlet/kenpo_pmf_202311_2.pdf

「ほんまにそれで済むんか?」と警戒していたらやっぱり済まなかったしそもそも手を出すべきではないだろうし今やることではないNo.1、OTC類似薬保険外しがそれだけではすまんやないかいという記事

news.yahoo.co.jp

うんこ文学ビブリオレビュー

 2024年の年の暮れ、フォロワーのヨイヨルさんがある動画を発表した。その名も「うんこ文学ビブリオバトル」。頭に本を載せたパペット姿も小粋なヨイヨルさんが、ドストエフスキーオタクでもあるかかり真魚さんと、「うんこ文学」について各人2冊ずつプレゼンし合うという企画である。2冊と言いつつ「こんな話もありまして」と他の作品も出てきたりしてなかなかのボリュームであった。

うんこ文学ビブリオバトル前編

 

うんこ文学ビブリオバトル後編

youtu.be

ヨイヨルさんのYouTubeチャンネル

www.youtube.com

 一昨年年末はこれを見て爆笑しながら年を越したわけだが、ふと「ここでプレゼンされてる本、読んでみようかな」と思いたち、2025年、一年かけて動画で紹介されたうんこ文学を読んだ。既読のものもあったし、一つの本に集中できず併読しないと読み切れないという自身の悪癖もあって、丸一年ずっとそれだけにかかりっきりだったわけではないのだが、なかなかに濃い読書体験だった。
 せっかく読んだので感想をまとめる。なお書名後ろの〈〉は推薦者の名前である。敬称略。
 核心には触れないようにしているが、内容には結構触れているので、何の前情報も入れずに読みたい! という方はご注意を。
 また、内容的に、直接間接を問わず暴力的な展開や描写を含むものが多く、以下のレビューでもそうした面に触れる。現実の性暴力事件にも触れる。不安のある場合は読むのを中止してほしい。

 

 

1、鹿島田真希『ピカルディーの三度』〈かかり真魚〉

 うんこ文学ビブリオバトル視聴時点で既読であった。レビュアーのかかり真魚さんからすでにオススメされていたものである。
 「めちゃくちゃ純愛だから!」と言われて「ほんとにぃ?」と思いつつ読んだのだが本当にめちゃくちゃ純愛だった。
 音大受験のためにピアノのレッスンを受けにきた「おれ」とピアノの先生、そして先生に言われてひり出した「おれ」のうんこという稀代の三角関係は、恋愛という行為に避けがたく織り込まれている侵襲性へと伸びていく。
 「私の体」というが、私は体でもある。私のうんこは元々私の体にあったもので、では、私のひり出したうんこは「私の体」というように「私のうんこ」と言えるだろうか? おそらくうんこはその境界、つまり「私の」と言えるかどうかの境目にある。先生という人は、そんな場所から「おれ」との関係を始める。あるいは、そうでなければ、誰かと関係するという可能性はなかった。
 ここでいう「関係」は、こうした文脈で一般に想起されるような、性行為の可能性を含みうるようなものではない。だって、それは、動画でもかかり真魚さんの言うように「先生には荷が重すぎる」からだ。ただし完全にプラトニックというわけではなく、肉体の接触はある。それは恋愛小説で儀式めいて繰り返し描かれる一連の行為を剥ぎ取られた「接触」である。そのために、その関係や、そこに含まれうる、自分が「特別」として選んだ他者に対する侵襲性が剥き出しになっていく。それと同時に、そのことに対して「おれ」はとことん向き合い、突き詰めて考えていく。

 

 ちょっと横道に逸れる。
 この話における「先生」と「おれ」の関係は非常にセンセーショナルでトキシックだ。この二人の関係や「おれ」の結論に対して、そしてこの話に対して、私はとても心を動かされたし、上でも「めちゃくちゃ純愛だった」と書いた。しかし、この関係と物語の展開はあくまでもフィクションだからこそ成り立つものである、ということはここに明言しておきたい。
 大人と子供はただでさえ権力差がある。教員と生徒という関係であればなおさらそこには大きく絶対的な権力差が存在している。しかもそれは、未成年の心身の涵養という教育の目的のために隠蔽されやすい。それも、「人間的なふれあい」という文脈のもとに隠されてしまう。「グルーミング」と呼ばれる行為はこうした権力差のある場所、かつ支配が「恐怖」のみではない場所で起こりやすいものだと思う。
 こうしたことを踏まえると、「先生」の行為は、「おれ」を手なづけるためではなく追い払うためのものではあるものの、その部分そのものはやはり暴力的であるし、その後の二人の関係もやはり非常に危ういものである。
 私はここで、「正しいものだけを書かねばならない」と言いたいのではない。「この関係はフィクションだからこそ存在しうる」という一線を超えてはならない、と言いたい。これはもちろん、虚構だからリアルじゃない、というのとも違う。
 こう考えられないだろうか? 私の生活する場所は、社会は、現実だ。そして、私の読む本も現実に存在しているし、それを読んで私の心が動いたこともまた現実である。トキシックでセンセーショナルな関係に惹かれてしまう自分の存在もまた現実にあることを否定できない。「先生」と「おれ」、二人の関係にある容易に立ち入ることのできない強固な手触りもまた「リアル」だ。
 「現実」とは、何か一つの塊として存在しているのではなく、いくつものレイヤーやモードが重なり合っている。
 そして、社会という現実のレイヤーで、私は大人として、そこがより良い場所となるように努力していかなければならない。初読・再読時、そしてこの記事は実は正月あたりからちまちま書いていたのだが、その時には知らなかったことが今明るみになっている*1。だからといって「知らなかった」ところに戻るのは何か違う気がする。
 「より良い場所」は何か倫理的でないと判断されるものを単純に全ての場所から排除して到達できるものではない(ただしもちろん、「全ての場所から」と注釈をつけたように、それをどこに置くかという部分には議論の余地がある)が、それはすでにある悲惨に対して同じ比較のまな板に乗せるような性質のものではない。なぜなら、その暴力は廃れていないからだ。
 どうする、というのは自分の中でも結論が出ていないが、この記事を今公開するにあたり考えたことをひとまず書いておく。


⭐︎バタイユ『C神父』(若林真訳)
 こちらもかかり真魚さんが関連本として挙げていたものであったが、バタイユの思想的背景が分からないとわかりにくい。放蕩な弟と清廉な聖職者の兄という双子BL……というか双子ホモソーシャル小説(男同士の情念やるためにいちいち女を挟むんじゃない)で、兄の方がこの小説の中でめちゃくちゃえっちな人として描かれているのは伝わるけど、バタイユのえっちを感じるポイントがわからんな……と思っていたらかかり真魚さんから『バタイユ入門』をオススメされた。と思ったらすでに電書で買っていて途中まで読んだ形跡まである。たぶん以前にオススメされて読んだものの脱落して忘れてしまったのだろう。ということで今はこれをえっちらおっちら読んでいる。

 


2、ソローキン『ロマン』(望月哲男訳)〈ヨイヨル〉

 19世紀ロシア、都会を離れ、残りの生活を芸術に捧げるべく帰郷した主人公ロマンが、新しい森番の娘タチアーナと恋に落ちる……という、いかにもなあらすじに、ロシア正教の暦に沿った食事会、蒸し風呂、狩り、そして村をあげた結婚式といかにも農奴解法令前後の地方貴族たちの悠々自適生活を描いた田園小説、という感じである。が、ところどころ様子がおかしく、引っ掛かりを覚えつつ読んでいくうちに、物語はえらい方向へと転がっていく。
 もうね。すごかった。
 「読んだ」というよりは「経た」。私は『ロマン』を「経た」のである。
 19世紀ロシアの地方地主の生活のディテールが書き込まれており、ドストエフスキーのオタクとしては色々と参考になった。
 ドストエフスキーに絡めてもう少し内容に触れると、上述の「ところどころ様子がおかしい」というのは、ドストエフスキーでいうところの「病的な興奮」が随所に見られる、ということである。主人公も主要登場人物もいわゆる「いいご身分」の人々で、読んでいて「いいご身分だな」と鼻につく描写が延々続くのだが、田園で過ごす美しい生活への喜びや恋人に対する感情の高まりがまさに「病的な興奮」状態で、感情としてはプラス方向なのだがどことなくパニックを起こしているように見えるのである。
 「感激屋な人たちだないいご身分だけど」と思いつつ読んでいった後半4分の1、結婚式の夜という幸福の絶頂=病的な興奮が頂点に達した時、物語はガクンと方向を曲げて凄まじい展開へと突き進む。
 いやあ、いい本だった。読んだ後目をビカビカさせながら「『ロマン』すごかった!!!」と言っていた。今も言っている。『ロマン』はいいですよ(ビカビカ)。みんな早くこっち側においでよ(ビカビカ)。

 

⭐︎ソローキン『青い脂』(望月哲男、松下隆志共訳)
 こちらはヨイヨルさんが関連本として挙げていたもの。以前読もうとして挫折した記憶があるのだが、ドストエフスキーのオタクになった現在いけるやろ! と思っていってみた。
 なかなか面白かったし、「広げたでかい風呂敷がさらにでかい風呂敷で包まれる」みたいな話が大好きなので楽しかったが、「引き下ろしの方法としてのセックス」みたいな部分はやはり飽きてしまう。父権制というか男根主義というか、そういうものへのアンチテーゼなんだろうとは思うもののチンチンをからかえばからかうほど逆説的にその「男性としての部分」に固着してしまう人や文化の物悲しさみたいなのを意図せず顕わにしてしまう、みたいなとこがあると思う。早よチンコばなれしなはれ。
 あとなぜか読んだことないのに既視感があるというか、知らん料理なのに知ってる味がすると思っていたが、たぶん「不思議惑星キン・ザ・ザ」だ。ギャグの間合いが似ている。

 


3、吉田知子「しがらみ厠」『蒼穹と伽藍』収録〈かかり真魚〉


 これも既読。やはりかかり真魚さんから景文館書店の吉田知子選集を読み終わった次に読むべき吉田知子作品としてオススメされたものだったと思う。
 吉田知子の小説には、「熱を出しているときに見る鮮明な悪夢」みたいな一群があるのだが、これもその系列に入る。冒頭で座っていた素敵な便所。そこにまた帰りたいのに、どうしてもそれがどこだったのか辿り着けない。語り手は街を走り回ってそれを探す。便所を探しているはずなのにどんどん話が逸れていったり、そもそも見つかったと思ったら用足しに向かない便所だったりするのもその手の悪い夢のようだ。
 吉田知子の作品には、しばしば、嫌な夢のようにコントロールの効かない、自分ではどうしようもない理不尽を日常として過ごすというモチーフが含まれる。そうした日常を生きていた語り手はある日、いつの間にか境界を越えてとんでもないところに行くわけだが、いつ境界を越えたのかわからない。嫌な夢のような日常はしかし夢ではなく現実で、だからこそ日常の境目を越えることは時に安寧をもたらすのである。
 本作の語り手は、あちこちで糞尿の臭いを感じている。それは昭和と呼ばれる時代にはあまり珍しくない状況だったと思われる。悪臭は、ことさら嫌なものとして書き立てるのでもなく、秘匿するのでもなく、そこにあるものとして書かれている。それは性やうんこも同じで、先のソローキンのうんこが「引き下ろし」の方法だとしたら、吉田知子は最初っからそこにある日常なのである。だから引き下ろすもへったくれもない。夢のように奇妙で幻想的なことも、境界を越えてあっち側に行くのも、うんこも、全部同じ地平に並べられている。

 

⭐︎吉田知子「うんこ国うんこ村」『バル第6号』
 うんこ国うんこ村の役場に勤める「ナコ」を主人公にした小説で、うんこ村の日常が描かれている。要点はかかりさんによって動画で述べられているので割愛するが、確かにSFっぽい。しかしこのSFっぽさが、役所があって部署間で揉めていて、とか、来客があるといいおまるを勧めなければならない、みたいな、人間関係の卑近な面倒臭さと地続きになっており、これもまた読んでいて「いつの間にか境界を越えている」感のある小説だ。


⭐︎吉田知子『極楽船の人々』
 豪華客船という触れ込みの極楽船。だが、どこへ着くのかもわからないまま、日を経るうちにだんだんと食事が貧しくなり、水も配給制になり……という不穏な小説だ。自身の罪を告白する「ツドイ」という集まりがあったり、どうやらカルト的な共同体らしき描写もあるのだが、吉田知子の作品なので皆テンション低めに文句を言っている間にどんどん崩壊していく。破滅の祝祭の色のある長編である。

 


4、ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』(菅野昭正、星埜守之、篠田勝英、有田英也訳)〈ヨイヨル〉


 ナチス親衛隊将校アウエの回想録という体裁の小説で、上下二段組、上下巻、各章関連地図と巻末注付きの鈍器本である。モチーフとしてアイスキュロスの悲劇『エウメニデス』が用いられる。『慈しみの女神たち』という題名もそこにちなんでいる。
 この小説の大半は、ナチ将校アウエの日常だ。つまりはソ連侵攻、行軍、他の将校たちとのパーティ、議論、調査、書類仕事、戦争、空襲、etc. etc. その合間に子供時代の回想が入る。アウエはそこで、双子の姉との近親相姦と、彼女から自分を引き剥がし地獄のような寄宿舎へ入れた両親、特に母親への憎悪を語る。
 アウエの仕事の大半はお役所仕事的な報告書の作成である。そして他の将校もそうだ。彼らは真面目である。組織の決定に振り回され、あっちとこっちで板挟みになり、苦肉の策は上司に鼻で笑われる。見通しの甘い計画に付き合わされて、物資も何もかも足りないのに、どうにか帳尻を合わせなければならない。組織の命令に背けず、過酷な仕事に従事して心身に変調をきたす。
 そこには当たり前のように上の無茶振りをなんとかしようとする組織人と、非戦闘員であり空襲に怯えるドイツ市民の姿が描かれる。しかし、真面目で従順だからこそ、彼らは加害者なのである。
 例えば、アウエは仕事に従事する過程で、神経性の下痢と吐き気に悩まされる。意地悪な上官に目をつけられたり、「ユダヤ人問題」解決の仕事に従事したりといったストレスのせいであろう。しかし、そうしたアウエの辛さと、例えば労働で、あるいはソ連軍から逃げるための死の行進で、足の間に自身の糞尿を垂れ流しながら歩かねばならないユダヤ人の姿とは、明確な隔たりがある。なぜ糞尿を垂れ流しているのか? 止まると銃殺されるため、排泄も歩きながらせざるを得ないからである。
 上で書いた「組織の決定に振り回され」るドイツ将校の姿は、今の日本でもしばしば見られる光景であり、板挟みになって厳しい仕事に従事し、神経を衰弱させる様子にはひょっとしたら共感や同情を覚えるかもしれない。
 だが、彼らが真面目に従事しているのは、文字通りの大量虐殺、バビ・ヤールの谷間で衣服を奪った相手を銃殺するとか、強制労働所でほとんど裸のまま、排泄物も垂れ流しのままにせざるを得ないような状況で厳しい労働をさせ、最後は毒ガスで殺し、遺体をまとめて焼く、という虐殺の仕事なのだ。そしてそれは、上からの命令で嫌々やさられているのではない(直接手を下したことに対する拒絶反応はあるが)。ナチス親衛隊の多くは志願兵だ。基本的に彼らはヒトラーの意思の実現を崇高な仕事として捉えている。
 彼らはなぜこれほどまでに真面目なのか? それは、ユダヤ人に対する脅威を真面目に感じているからだ。
 19世紀は科学の時代、もっと言えば科学の利用の時代である。様々な科学的発見が技術に転用され、人々の生活を変えていく。しかしその「発見」はしばしば誤謬を含む。「人種」の発見もその一つである。
 様々な生き方をしていたヨーロッパのユダヤ人は、19世紀後半に「ユダヤ人種」かつ劣等人種とされた。近代国家制度からの締め出し、移民の制限などが欧米各国で政策として行われる。「人種」の発見の影響は制度的なものだけではない。当然のことながら、人々の意識にも負の影響を与える。
 自分たちと相手を切り分ける「合理的根拠」がここで与えられたのである。自分たちとは異なる「人種」に対する反感は、ストレートな暴力になることもあるが、そこでも「脅威」という言い訳を迂回する。このままでは自分たちの生活が彼らに脅かされる。富が奪われる。彼らはどんどん増殖し、我らが民族のための国を食い尽くすだろう。
 この手の「ユダヤ人への脅威」は、本作でも何度も語られている。彼らが口にするのは憎悪だけではなく、脅威なのだ。
 ヒトラーは、この反感や鬱屈、不安に対して「ユダヤ人問題」という言葉を与えて婉曲化し、その脅威の感覚を肯定した。そして、その解決の方法を提唱した。アウエらはそれに従い、自主的にその仕事を行った。
 もちろん仕事に際して、個々の鬱屈や、発言、心身の状況などを見れば、組織の命令に振り回され、人間性を抑圧される組織人の姿が見えるし、そうした「人間性を損なうもの」に対する抵抗も見出せるかもしれない。しかしそれ自体は、現代における賃労働につきものの苦悩でもある。そうした「賃労働」の厳しさを含む仕事の延長として虐殺はある。というか、厳しい仕事の延長には、虐殺すら置くことができるのだ。組織のやりように不満を感じ、これって「よくない」んじゃないか、という思いを抱きつつ、それを押し殺しながら自分に任された仕事をこなしたことがある、そんな人ならば誰でも、そこに手をかける可能性がある。「仕事」だからこそ、やれてしまうのだ。
 彼らは、特別な残酷な人間ではない。今まで述べてきたように「普通の人」なのだ。彼らは「遠い怪物」ではなく、私自身とそう遠くない場所にいる人間である。「加害者の論理」と一言でまとめてしまえばそうなるだろう言葉や生活が、アウエの持つ非常に個人的でプライベートな憎悪と共に描かれている。恐ろしく、しかし目の離せない本だった。

わたしは自分が悪魔であるとは思っていない。わたしがやったことについては、いつだって理由があったし、よいか悪いか、それは分からないが、いずれにせよ人間的な理由があった。殺す者は、殺される者と同じように人間なのであり、それこそが恐るべきことなのだ。あなた方はわたしはひとを殺したりしないだろうと言うことは決してできないし、そんなことは不可能であり、せいぜいのところこう言えるだけだ、わたしは人を殺さないように望んでいる、と。(中略) わたしは生き、できることをやっているが、誰しもみんなそういうものであるし、わたしは他の人々となんら変わったところのないひとりの人間であり、あなたがたと同じようなひとりの人間なのだ。そうとも、わたしはあなたがたと同じだと言ってるではないですか!
(リテル『慈しみの女神たち』上 p.34)

 

 

 実はこの記事を書こうと思い立った最大の理由が、この本を読んだこと、というか、去年読んだこと、もっといえば石破政権時に読み始め、高市政権時に読み終わったことであった。
 ヒトラーという権力者に服従し、あくまでも個人に過ぎない彼の世界観を国家の意思として、その実現に「真面目」に取り組む当時のドイツの市民の姿は、高市政権に変わってあまりに生々しく今の日本の社会に近接した。
 アウエは、ヒトラーを皆が支持した理由について、ヒトラーが善悪を自らの欲望に基づいて断言できたからだ、と言う。少し長くなるが引用しよう。

 

聖書の〈法〉は言う、汝殺すなかれ、と。そして、そこに例外はない。だが、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、戦時にはこの法が停止され、自民族の敵を殺すのが正義であり、そこには何の罪もないということを誰もが受け入れている。戦争が終わって武器を壁にかけ直すと、旧法は穏やかに、あたかも中断などなかったかのように再び行使されるのである。したがって、一人のドイツ人にとって、よきドイツ人とは法律遵守を、したがって《総統》に対する服従を意味する。そして倫理についても他の可能性はない。なぜなら、何一つそれを根拠づけないからだ
(リテル『慈しみの女神たち』下、p.58)

 

 《総統》=ヒトラーへの服従が法律遵守とイコールになっている。しかしここで述べる「服従」は、恐怖や威圧によってまずなされたものではない。そうではなくて、肯定によって生み出されたものである。
 語り手のアウエは、これに続けて、ヒトラーに抵抗し得たのが信仰者であったことを述べる。彼らには「倫理の参照物」として、ヒトラーではなく神がいたからである。信仰によって、彼らはヒトラーの欲望に対する善悪の評価を下すことができた。しかし、そうではない場合は?

 

たった一人で自分の欲望に基づいて、これは善、これは悪と、物事を明快に断じ発言できるのはどのような人物だろうか。もし、誰もがあえて同じことを試みたら、すなわち各人に、それがカント的であろうとなかろうと、私的な〈法〉に基づいて行動させたら、どのような無秩序、どのような混乱が生じるだろうか。そうなれば、私たちは再びホッブズの轍を踏んでしまう
(リテル『慈しみの女神たち』下、p.58)

 

 ここでいう「たった一人で自分の欲望に基づいて〔…〕物事を明快に断じ発言できる」人物がまさしくヒトラーであった。ヒトラーは人種差別意識を、ユダヤ人に対する反感を、脅威の感覚を、その善悪を、自分の欲望に基づいて明快に断じ、ユダヤ人の排除を肯定した。「よきドイツ人」たちは、このヒトラーの欲望に服従したのである。
 この服従は完全な肯定や心服だけで行われたわけではない。ヒトラーのいうことに納得はいかないがなんとなくユダヤ人への反感がある者、全く支持していないがとりあえず政策を受け入れている者、文句は言いつつも表立った反対活動はしない者、それらもやはり服従だ。形式上は、ともかくも、権力者のやることを邪魔していないのだから。世論は権力者の邪魔をしない限り、権力者の都合に合わせて利用される。
 したがって、ヒトラーに限らず、権力者への、もっと踏み込んで言えば権力者の欲望に対する服従は、一見して秩序を作り出す。表面的には波風のたたない穏やかな状態で、物事はつつがなく進む。何せ権力者の意図に従えばよく、意図の実現に困難はあっても、根源的な「どうすればいいか」は権力者が判断してくれる。
 この秩序、権力者の意図への服従は、しかし虐殺施設を、無謀なソ連侵攻を、消耗を、なぜか自分の意思で非人間的な行動に手を染めることを意味する。秩序を守ったことで、人々は混沌としたソ連侵攻を生み出した。あちこちに糞便の臭いのまとわりつく侵攻だ。射殺された人々はうんこを漏らす。あるいは兵士の場合なら、満足に栄養も取れないまま衰弱し、ズボンを下ろす間もなく漏らした下痢便が凍りつき、凍死体となって次々遺体安置所へ運ばれるような「消耗」戦である。(もっとも、一方でユダヤ人から奪い取った衣服や金品によって消耗を補填していたわけだが)。
 上の引用で、アウエは「私的な〈法〉に基づいて行動させたら、どのような無秩序、どのような混乱が生じるだろうか」と述べている。しかし、例えば信仰者による反体制活動は「私的な〈法〉に基づいて行動」したものなのだろうか。「汝殺すなかれ」は「私的な〈法〉」なのだろうか。これがナチス将校の回想という立ち位置から書かれたものであることを私たちは見逃してはならない。
 もう一度、一つ目の引用に戻ろう。「したがって、一人のドイツ人にとって、よきドイツ人とは法律遵守を、したがって《総統》に対する服従を意味する。」法律は憲法理念に基づく。そしてそこには「人間を非人間的な状況においても良い」というようなことは書いていなかったはずだ。むしろ人権規定があった。しかし、ここで《総統》つまり権力者への服従がイコールで結ばれると、虐殺すら行われてしまう。行われてしまったのである。

 

 さて、この冒頭に私はここで描かれたドイツ市民の姿と、高市政権になった日本の社会を似たものとして述べている。当然、ここで「権力者」と指しているものの中に、高市首相も含まれている。
 政策や発言を見れば、この人がどのようなタイプの権力者なのかは明らかであろう。象徴的なのが今年1月の通常国会冒頭解散と2月の衆議院選挙だ。
 時期的な問題は多くの人が指摘していた。国会冒頭解散の場合、年度内に予算審議をするのが難しくなる。また真冬の選挙は特に雪国は厳しい天候に見舞われる。さらに、自治体のシステム改修の時期とも被っている。どうしてもその期間でなければならない、というのでない限り、避けるのが望ましいという時期にあえて強行した形である。
 必要な手続きとはいえ、選挙は予算的にも気持ち的にも負担のかかるものだ。やむを得ない場合もないとは言えないし、どれほど調整しても絶対にどこか割を食うところは出てくる。しかし、それはろくに調整もせずに「割を食わせる」というのとは全く違う。
 絶対必要とはいえない時期の選挙、という時の「必要」は有権者にとっての「必要」である。別に今でなくてもいい。しかし、高市首相にとってはその時期である「必要」があった。就任期間も短く、告示から開票まで期間が短く、検討する時間もろくに与えないままの投票で自民党は過半数の議席を得たのだが、これは有権者にとっての「勝利」なのだろうか?
 ここで明らかになったのは、高市首相は自分の都合で「割を食わせる」ことに躊躇がないということだ。つまり、自身の欲望に基づいて「この時期が"良い"」と「断言」し、行動したということだ。
 高市首相は、自身の欲望に基づいて行動し、日本にあるあらゆる物資や資本、そして人を消耗するのに躊躇ないだろう。欲望に基づく行動は、権力者だからこそ支持されてしまう部分もある。「誰かがズルをしている」という感覚をこの首相はうまく肯定している。この権力者に対する服従状態が続く限り、自分とは違う「誰か」への反感と「ズルをしている」という脅威の感覚は肯定され続け、一方で生活は消耗させられ続ける。それがどこまで行くのかもわからない。「真面目」な私たちは、やっぱりこれに従い、鬱屈を自分とは違う「誰か」への反感で解消させながら、おとなしく消耗に身を捧げる秩序だった社会を作り出してしまうのだろうか。あのアウエの見たドイツ市民たちのように。
 だが、私は絶望の話をしたくてこの記事を書いたのではない。その逆に、希望の話がしたい。希望の話をした、とはとてもじゃないが言い切れない。しかし、ここまであなたが読んでくれたということは、この記事を希望の話としてもいいのだろうか?

 

5、私のおすすめうんこ文学


 これだけで終わってはアレなので、私からもうんこ文学を二つ挙げる。
 一つはチョン・ボラ『呪いのウサギ』(関谷敦子訳)収録の短編「頭」。ある日語り手はトイレで「お母さん」と話しかけられる。便器の中から出てきたのは、不恰好な頭。語り手の排泄物やトイレに流したもので出来た存在だった。語り手は「頭」を疎ましく思い、話しかけられるたびに苛立つが……という話。うんこが人になって話しかけてくる、というのはなかなかに悪夢だが、それに対して自身の持つ攻撃性が剥き出しにされていくのもまた恐ろしい鋭さを持つ短編だった。
 もう一つは谷崎潤一郎『細雪』。この後は最後の展開のネタバレになってしまうのだが、いいよという人は読み進めてほしい。
 船場の豪商の四人姉妹の悠々とした生活と三女雪子の見合いが主軸になっているこの物語、実はうんこで幕を閉じる。能動的うんことは少し違うので、動画の意図とはやや外れるが、この幕の閉じ方がなるほどなあと思わされるのである。
 豪商の家に生まれた雪子は、当時としてもいわゆる「いき遅れ」なのだが、父親が可愛がるだけ可愛がって遺産だけ残して死んでいったせいか、見合いが失敗しようがいき遅れ状態だろうがその誇りはこゆるぎもしない。次々に持ち込まれる見合い話に対して、やれ男の顔が気に食わないの年が離れすぎているの家の格が釣り合わないのと色々注文をつけて追い返し、向こうに値踏みでもされようものなら怒りに燃えてぴしゃりと拒絶する。そういう甘やかされた高飛車で誇り高い、幸せなお嬢さんの行き着く先が「うんこ」なのだが、これがなかなかに悲哀を感じるのだ。
 なおこの『細雪』、当時軍部から「時局をわきまえない」として掲載を止められた、という逸話は有名だが、一方で昭和天皇に献本され、普段文芸作品を読まない昭和天皇が読んだらしいという話も残っている。ここで挙げた二つのエピソードは、この作品の書かれた時勢、それに分かち難くこの本が存在しているということを示している。すなわち、戦時であるということと、天皇が臣民を統治する政治体制であった、ということ。軍部と天皇、二つの権威が存在していて、それが「臣民」であった日本の大衆から戴き、畏怖すべきものとして表象され、支持されていたということ。そしてもう少し文脈を広げ、その支持は、侵略、植民地支配、戦争といった行動におよび、それに多くの「日本人」が服従していたことをつなげても良いだろう。
 「うんこ文学ビブリオレビュー」のはずが脇道に逸れてしまったように思えるが、しかし、うんこは人間の最も下劣でありながら生きる上で常に共にある存在である。うんこの話を扱う文学は人間の尊厳や存在そのものに肉薄する。それを容易に奪い取るのが政治権力の暴走である。そして今は、それを無視できる状態ではないと思う。
 私だってうんこ文学の話だけやってワハハとしたい。だが、その前に権力の暴走を止めなければならない。

 

 

連帯カレンダー

rentaicalender.com

デモや反差別運動の情報をまとめたサイト。何かしたいけど、何をすればいいのかわからない……というときのための情報もまとめられています。

連帯カレンダー管理人さんへの支援サイト

buymeacoffee.com

 

「日本が脅かされている」  認識を膨らませているのは誰か?

www.sra-chiki-lab.com

面白かった記事。自分自身を主語にした場合は直接的な脅威を感じる人は少数派だが、「日本」を主語にすると脅威認識が大きくなる傾向が見えるそうです。

*1:これは小学館で原作・漫画を執筆していた人間による性暴力事件を指している。本記事で明言を避けたのは、この事件の許しがたさとここで述べる「センセーショナル」ということを結びつけたくなかったからである。この事件については、再発防止のためにも社会の注視が必要であるが、そこに被害者もまた否応なく巻き込まれてしまう。間接的な関係のこの記事で踏み込みすぎるのも「巻き込んで」しまうことになりはしないか、かといって全く言及しないわけには行かないと感じ、このような形にした。

個人サイト作成顛末記

 個人サイトを作ったので、その経緯を簡単にまとめることにした。
 作ってみたいなと思っている人の一助になれば幸いである。

1、きっかけ

 個人サイトを作ろう。
 と思い立って作ることにした。
 それまでは情報集約のためにpotofuというポートフォリオ的なものが作れるリンク集を使っていた。小説はareiという小説執筆サービスで公開し、potofuにリンクをまとめる。この方法だと、SNSやブログ、委託先も一箇所にまとめられるし、使い勝手も悪くないが借り物感が否めない(あくまで私の所感です)。
 文章投稿サービスもいくつか渡り歩いたが、結局皆退会してしまった(pixiv→ note→カクヨム→Archive of Our Own。mediunやしずかなインターネットなど、登録しただけ・少し投稿しただけのものを含めるともっとある)。比較的長く使っていたpixivを除き、いずれも数年以内での退会である。それぞれ退会の直接のきっかけはあるものの、今思えばそこに至るまでにもなんとなくうっすら嫌というか、場違い感というか、落ち着かない気持ちがあった。きっかけはきっかけ、最後の藁だったのだろう。
 今のままでは心許ない。さりとて投稿サービスも性に合わない。ならば個人サイトしかあるまい。

2、まずは何をすればいいんでしょうか

 さて、個人サイトを作ろうと思い立ったはいいがどうすればいいのかわからない。はるか昔にHTMLを手打ちで作っていた学生時代以来、ホームページなど作ったことがない。そこでマストドンとブルースカイで情報を募った。いただいた情報を以下に転載する。

do とりあえず最初に見るならみたいなサイト

do.gt-gt.org

てがろぐ 文章系に良さそうなフリーCGI

www.nishishi.com

PictPostPersonal 個人サイトが作れるWordPressみたいなやつ。小説特化版のNPPもある。

ppp.kannagi.net※CMS=Contents Management System、ホームページ制作・更新システム

 

Bootstrap  webフレームワーク

getbootstrap.jp

ホームページを作るのに必要なパーツがある程度まとまってて制御もしてくれるみたいな感じ

 

hugo これもフレームワーク

gohugo.io

個人ホームページ訪問アドベントカレンダー

adventar.org

 みなさまご協力ありがとうございました。


 教えていただいたものは一通り触ったり使い方を調べたりしたのだが、コードからどうにかして自分の理想に近づけるのは無理だなと早々に見切りをつけて、PPPかWordPressに絞った。
 この時点で「文章が読みやすい・情報が一覧しやすいのがいい」という希望の方向性がはっきりして来た。ブログ形式で最新記事から並べるよりも、アーカイブ機能重視、倉庫的な形で文章を並べる場所、というイメージだ。要はいにしえの個人サイトである。
 サイトのイメージを固めるにあたり参考になったのが、上記の個人サイト訪問アドベントカレンダー2024である。これを見て自分の作りたいサイトに近そうだと感じたものをいくつかピックアップし、イメージを膨らませていった。最終的に七城ナナさんの記事(WorPressでポートフォリオサイトを作った話: 現在リンク切れ)で紹介されているAnders Norén さんのテーマが気に入り、いくつか試してみて現在使用しているBeaumontというテーマに落ち着いた。

andersnoren.se

これはライター向けのテキスト主体のデザインで、背景色が落ち着いているのも気に入った。何より「個人サイトっぽさ」がある。
 ところで、potofuもそうだが、サムネイル前提のデザインは文字主体の投稿にはやや不利である。もちろんなくても投稿やリンク作成はできるのだが、デフォルトのアイコンがずらっと並ぶのは、個人的にはちょっと見づらいというか、情報を探しにくいので、potofuでリンクを作るときは自分で簡単なアイコンを作っていた。が、簡単なだけにかえって面倒で、投稿自体を後回しにしてしまうことも多かった。写真や絵が入っている方が愛想がいいのはわかるのだが、デザイン的なセンスのない面倒くさがりの人間には荷が重い。一昔いやふた昔前ならいざ知らず、端末の性能も上がり大きな情報もやり取りできる今は高解像度の画像だってバンバン上げられるのだし、テキストも画像と一緒に投稿するのが一般的なのかなあと思いつつも、しっくりこないものを感じているのでここに記しておく。
 あとはどこかサーバーを借りないとなあ、ということで、下記のdoの記事を参考にしてスターサーバーに決めた。

do.gt-gt.org

 広告がないところがいい、というのは決まっていて、有料サーバーでも構わなかったが、まず「ホームページ作成」自体が久しぶりすぎて、そもそも慣れるのに時間がかかりそうだし、使い勝手もわからない、ということで、まずはスターサーバーのフリープランに登録した。
 容量が足りなければ有料プランにすればいいし、使い勝手が悪ければ乗り換えてもいいかと思っていたのだが、テキスト主体のサイトだからか、今のところ容量はかなり余裕がある。というかページを追加しても追加しても容量の表示はほぼ動いていない。テキストファイル、基本単位がキロバイトだもんな……。使い勝手については、正直なところよくわからない。そもそもサイト作成自体が久しぶりすぎるので、つまづいたのが自分のせいなのかサーバーのUIのせいなのかわからない。というか私のせいだと思う。

3、WordPressと仲良くなろう

 さてWordPressである。調べた限りでは、サイトというよりはブログツールに近いようだが、カスタム次第で色々できる……みたいな感じらしい。
 色々やるにはCSSやPHPの知識が必要だが、そうでない人向けにオンラインのエディター(Gutenbergというらしい)もある。私は当然エディターを使って手を入れてみた。
 手を入れてみた、とサラッと言っているがまずそこに至るまでにかなりの紆余曲折があった。そもそも「どこに字を書くんです……?」というレベルである。フロントページって何? 固定ページと投稿と二種類あるけどどういうこと? ブロックって何? アイコンを押したら色々出てきたけど前の形に戻せない! 文字サイズを変えたら直せない! 消えた! 増えた! 突然縦になった! 等々。個人サイトとか無理なんじゃないかと一瞬思った。
 しかし触っていけばなんとなく要領も飲み込めてきて、そうするとだんだん組み立て方も分かってくる。目の前の板で調べれば先達が情報を書き置いてくれている。めちゃくちゃになったら一旦リセットすれば元に戻る。調べちゃ試し、上手くいかなければリセットして、とやっているとある日「あ、こういうことか」というのが飲み込めた。あとは希望の形に向けてカスタムするのみである。
 基本的にはいくつかのテンプレートがあり、そこに「ブロック」と呼ばれる出来合いのパーツ(テキストだけの段落、表、見出しなどの基本的なものから、コメント、検索窓、コードやSNSリンクの埋め込みまで様々)を用途に合わせて組み合わせていく……という感じで、よく使うものであれば自分でブロックパターンを作って保存することもできる。例えば私は小説のトップページに戻るリンクのブロックを作り各ページにぺぺぺと挿入している。一方テンプレートの方は投稿全体に影響するため、あまり融通のきかない面もある。例えば「この表示、こっちの投稿にはいらんなあ」という場合、テンプレートに含まれるパーツだと基本的に個別にカスタムすることができない。もう少し大きなことがしたければCSSやPHPをなんとかしなければいけないようだが、大抵のことは先達がプラグインを用意してくれているので、それを使えばどうにかなる。
 詰まったりこうしたいという具体的な希望が出てくればその都度調べて試してを繰り返したが、自分では手に負えないなあという部分は、できなければしゃあないか、と割り切りつつサイトを作っていった。何となく想像していたものから変えたり諦めたりした部分はあるものの、概ね思い通りになったかなと思う。

4、構成を考えよう

 ある程度自由にページをいじれるようになったら、次の課題はサイトの構成だ。
 自分の書いた小説を置いておく倉庫を作る、というのがサイト作成の一番の動機だが、もう一つ、活動の静的な拠点がほしいというのもあった。SNSのような動的拠点に対して、とりあえずそこに行けば情報が集約・整理されている場所、というイメージだ。
 そのためには改めて構成を考えなければならない。小説以外に欲しいページは何だろう?
 ひとまずサイトと作者兼管理人(正井)に関する情報一覧と連絡先のページを作った。さらに比較的短い作品をランダム表示するページを作る。その上でそれぞれトップページにリンクを貼った。ヘッダーメニューもあったが、それとは別に、サイトを訪問した時に目的別にワンクリックで情報が見られるようにした。

サイトのスクリーンショット(部分)。上に「夜更社」の文字。下にボタン型のリンクが三つ並んでいる。リンクの文字は左から「夜更社について」「とりあえず読んでみる」「連絡を取りたい」

トップページのリンク

 

 小説ページについては、ざっくり掌編とそれ以外に分けた。自分の書くものは基本的に短編のみなのと、Xおよびブルースカイに投稿している掌編小説がかなりの分量溜まってきており、またSNSでも自分っぽいものというとこれかな、と思ったので分けた。せっかくなので他の短編には字数別のタグを入れた。後々自分でも書いたことを忘れていた掌編がたくさん出てきてちょっとだけタグの区分を変えたが概ね最初の形通りである。いつかは長編も書きたいものである。
 二次創作のページも作成した。これについては、当初は他のサーバーを借りようかと思っていたのだが、切り離して置いておけそうだったので、同じサーバー内に作ることにした。
 公開直前に思い立って「小説の練習」のコンテンツを入れることにした。できたものを公開するだけだとあまりサイトが動かないので、もう少し動的なコンテンツを作る狙いである。
 あと連絡用のフォームがあるので、個人情報収集に関してのプライバシーポリシーページを作った。これについては、chatGPTでざっくり作ってもらい、細々書き換えた。書き換えに当たっては上記の七城ナナさんのサイトのポリシー(現在リンク切れ)と検索して出てきたマネーフォワードの記事を参考にしている。

5、公開

 というわけで、サイトが一通り形になったので公開した……がまだ詰めなければならないところはちらほらあるし、実は全てのコンテンツが揃っていない部分もあったりする。
 サイト作りは本当に久しぶりだったが、めちゃくちゃ楽しかった。実は数年前から私の希望を満たす「投稿サイト」は個人サイトなのではという気持ちはあったのだが、色々と面倒でほったらかしにしていた。実際にやってみると、時間も手間もかかるが、自分の手が動けば形が変わっていくのがとにかく楽しくて時間を忘れてしまう。このままだと細かいところの調整とかを延々やってしまうので、思い切ってエイヤッと公開することにする。
 というわけで思い立って数年、情報をいただいた四月末から数えて三ヶ月超、私の「個人サイト」が形になった。
 情報を提供してくださった方々、サイト作成の途中経過報告にリアクションくださった方々、最後になりましたが深く御礼申し上げます。
 


生成AIは電力消費量がえぐい上に冷却用の水も大量に必要になる……という記事。気候変動や水資源の枯渇の要因になりかねないし、今回はchatGPTに頼ったけど、頼りすぎないほうがいいのだろう。そもそも個人の意識以前の問題として、テック企業は技術の負の側面について対処する責任があるだろうとも思います。

GPT-5の消費電力はGPT-4oの約9倍となり大都市圏の消費電力と同程度の水準に:AIの進化は電力危機を招くのか | XenoSpectrum

xenospectrum.com

 

 

『チャイコフスキーの妻』が息切れするくらい面白かったんだけど何!?

11/1 なぜかアントニーナをずっとアンナと書いていた。修正しました。

 

 チャイコフスキーの妻、なんか分からんけどめっちゃ面白かった。年間ベスト級では?
 私はめちゃくちゃ面白かったし、映画を見ながら手のひらに変な汗をかいたが、おそらくそんなアクション映画でも見るようなテンションで見る映画ではないし、誰が見ても傑作! みたいな感じでもないと思う。伝記映画と説明されていたがたぶん違う。でも面白かった。

mimosafilms.com


 アントニーナとチャイコフスキー、最初に起こったすれ違いがどんどん大きくなる。「兄と妹のように」というのはドストエフスキーを愛好していると頻繁に出会うフレーズであるが、チャイコフスキーにとってはもっと切実な、つまり「女を/として愛せない」という条件だった。しかしこの条件をアントニーナは大して重視していなかったし、チャイコフスキーはそれに気づいているかいないのか分からないけど、やっぱり何かを掛け違えていた。そうしてすれ違いは、「すれ違い」なんて繊細げな言葉のイメージごとメキメキ音を立てながら、後戻りできない場所に一瞬ですっ飛んで行く。
 たぶんチャイコフスキーが結婚を(今思えばやや拙速に)決意したのは、アントニーナが申し出た持参金のこともあったんだろうなと思うが、これはチャイコフスキーの側から見れば「金で買われた」ように感じるような、関係の隙になったんじゃないかと思う。その後で「約束」の金が入ってこないなら、騙されたように思っただろう。が、それならば一層、世間体とお金のためにアントニーナの思いを利用したという点は色濃く浮き上がる。一方のアントニーナは、チャイコフスキーの気を引くために遺産を過大申告している。この時点でお互いがお互いを利用しあっている、感情の裏に打算がある……という塩梅がうまい。
 結婚後のアントニーナはチャイコフスキーのことを全く理解しようとせず、自分の側からの理解を善意あるいは愛として押し付ける。アントニーナはチャイコフスキーを「崇拝」するが、彼個人を見ていない。結婚生活やその後の別居時、要所要所で感じるアントニーナの「通じなさ」、おやという違和感が冷たい予感に転じるあの怖さ。今ふと思ったが、結婚の真実=正義性は神によって保障されている、ということなのかもしれない。結婚した以上、隣の男は「私の夫」である。アントニーナの思考はそこから動かない。その暴力性がチャイコフスキーを蝕んで行く。
 アントニーナは「ピョートル・チャイコフスキーは自分の夫であり、夫として妻である自分を愛している」という認識の枠組みから出ようとしない。夫は「夫」としてそうなるべきなのであり、そうでないのはあり得ない。その認識にそぐわない情報はスルッと取り落とし、自分の強固な認識の枠組みに相手を服従させようとする。しかも、そのことはアントニーナにとって、太陽が西に沈むように、自然であり真理であるので、相手を服従させようとしているという意識はないし、その加害性に無頓着である。しかし、同性愛者としてのチャイコフスキーにとって、この軽視と押し付けはあまりにも暴力的である。アントニーナの認識と現実の間に生じた齟齬は、まずはチャイコフスキー、さらに周囲を巻き込んでどんどん大きくなっていく。
 チャイコフスキーは、彼なりに最大限妻に気を使っているように思うし、自分の結婚を自分の失敗として受け止めているように思う。それを「妻」として轢き潰しにくるアントニーナ!! という感じなのだが、その一方でチャイコフスキー、あるいはチャイコフスキー側の人々から感じる「ボーイズクラブ的結束」のいやらしさも結構自覚的に描かれていたのではないか。
 チャイコフスキーが同性愛者である、あるいは妹の言葉を借りれば「若い男を愛する」ということを皆アントニーナに隠していた。それは確かに時代性を鑑みれば不思議なことではない。しかしその秘密の共有にもう一つ、「芸術家あるいはその庇護者である我々男と芸術の分からない凡庸な女」という線引きもまた重ね合わされているように、映画を見ながら感じた。
 サンクトペテルブルグへ向かう列車の中で、チャイコフスキーは旧友に出会い、抱擁をし、親しげに言葉をかわす。すれ違うにも互いの鼻先が擦れるような狭い廊下なだけに、チャイコフスキーの、アントニーナと旧友たちに対する距離感の違いは目につく。
 さらにサンクトペテルブルグで同じ「音楽家」と出会った時、チャイコフスキーとその仲間の男たちの親密な空気の後ろにアントニーナは取り残される。映画ではモスクワ音楽院を中退したことになっていたし、才能があるかどうかは音楽の造詣に乏しい私からは判断できないが、女にも学識や才能があるかもしれないということについて、男あるいは社会は気にしなくていい、あるいは知らないということにされていた時代である。チャイコフスキーは、最初に会った時にも女は結婚した方がいいみたいなことを言っていたが、それがここで効いてくる。アントニーナの音楽的素養をチャイコフスキーが全く気にかけていないのは、アントニーナの才能のせいというよりは、アントニーナが女性であり(自分の、ではなく女性の一般的役割としての)妻であるからだ、という方により重心がある。
 チャイコフスキーの友人たちの集まりで、アントニーナは、自分は世間知らずで、夫の業績もよく知らなかったのだというようなことを強調するように言う。チャイコフスキーは止めるが、アントニーナはなおも話し続ける。ここでアントニーナが自身の無知を強調するのを不可解に思っていたが、これはアントニーナのチャイコフスキーへの無理解を示す……ということだろうか。音楽院を中退したことも引け目になっているのかもしれない。この場面はそれに重ねて、アントニーナに対する周囲のマイルドかつ強固な締め出しを描いている。おそらくアントニーナもその空気を感じ取っていた。曖昧な微笑みを浮かべて、無垢で無知な女としてその場に出席するアントニーナの前で秘密を共有する優越感、あったやろ? と思う。
 男同士の絆は女を媒介にしてより強く結ばれる。離婚協議が破綻した後、チャイコフスキーの友人の一人から明かされた「秘密」、アントニーナが公衆浴場で裸でいたのを見たチャイコフスキーが彼女を救い出す決心をした、という噂があり、その噂は他ならぬその友人によって広められたということを述べれば十分だろう。自分が広めたことをアントニーナに言う分まだ誠実な部類であるとも言える。
 今よりもっと厳しい状況に置かれていた同性愛者、それに無理解な妻=教会結婚が背後についているという点でマジョリティの女、有名な芸術家(「芸術家」というとほとんど男を指した19世紀のヨーロッパにおいて、と付け加えてもいいだろう)、無名の「音楽を齧った」女。二人の関係は不均衡であるが一方的ではなく、ある場面ではアントニーナが、ある場面ではチャイコフスキーが優位に立つ。
 アントニーナは恐ろしい女である。しかし、少し引いて背景を視野に入れれば、たとえ専門教育を受けても自立の道は女にはほとんど閉ざされている時代である。アントニーナには何もない。地方貴族の娘で、財産といえば父の遺産しかない。それもチャイコフスキーに捧げた。音楽院は中退してしまった。最初のキャプションにもあったように、当時女が、金銭的な意味でも学歴や職といった経験としても、自分自身の「富」を持つということにはいくつもの障壁があった。そもそも女自体が父か夫の持ち物であるような時代だ。アントニーナの恐ろしさと、離婚協議の時のチャイコフスキーの「破格の」提案は、そうした不均衡な構造の中で生まれたものでもあるとも言える。なおこれはアントニーナの恐ろしさを免罪する意図ではない。
 アントニーナは欲望のままにチャイコフスキーを求めた。最初は善意で包み、後にはその欲望と、自分の思い通りに応えない男への憎しみを露わにする。弁護士は完全に利用しているし、彼との子供は「ピョートル」の子であるが、施設行きの運命を負わせて仕方がないねという顔をする。アントニーナは夢想家であり利己的だ。火事で起こされる前に見た夢がアントニーナの理想だった。チャイコフスキーは夫として自分を愛し、二人の間には子供がいる。彼女にとってはそうなるはずであり、その理想と矛盾する言葉や現実は受け入れない。
 アントニーナは自分の求めるようにチャイコフスキーに自分を愛してほしかった。しかしそれはチャイコフスキーにとっては苦痛だ。だから受け入れられない。ここを突きつめて行くと、今度はチャイコフスキーの利己心が見えてくる。チャイコフスキーは、形はどうあれ「アントニーナの夫」になることを選んだ。にもかかわらず、本人は変わろうとせず、「そのまま」でいようとする。無論これは性的指向の話ではない。金を手に入れ、安楽な生活の中で(もっともこれはアントニーナの遺産の売却がうまくいかず頓挫したが)、今まで通り作曲をし、指揮をする。チャイコフスキーの思い描く結婚後の生活に、アントニーナはいなかったのではないかと思う。時代を考えれば、アントニーナに説明をして理解を求めるのは難しかったのだろうが、チャイコフスキーの沈黙はもう少し微妙なところまで伸びている。結婚式のディナーの席で、チャイコフスキーは結婚相手のアントニーナを無視して隣の男たちとばかり親密げに言葉を交わす。サンクトペテルブルグへ向かう列車の中で、かいがいしく世話を焼くアントニーナに向かって、いやアントニーナがいるにもかかわらず、チャイコフスキーは「これがずっと続くのか」と独り言を言う。ここはアントニーナが「踏み込みすぎ」のように描かれており、実際そういう面はあるのだろうが、チャイコフスキーチャイコフスキーアントニーナを透明化している。
 確かにチャイコフスキーは気を使っている。しかし、その方向性は一貫してやんわりした拒絶である。チャイコフスキーが言外に求めていたのは、実のところ「兄と妹」の関係ですらない。何もせず、いるなら無害な幽霊みたいにいてほしい、というのが本音のところではないか。今生ではアントニーナという強烈な女にエンカウントしてしまったが、もっと「物分かりのいい」女でも同じように拒絶して同じように胃を痛めていたのではないかと思う。金に釣られて人格としても属性としても大して重視していない存在と結婚した、というあさましさぐらい自分で引き受けてもいいのではないか。
 アントニーナは踏み込む。夫の寝室へ行き、不同意性交という暴力的手段を試みる。夫は「私の夫」なのだから、アントニーナにとってはそうあってしかるべきなのだし、そうなっていないのは、どこかちぐはぐな現実なのである。「兄と妹」のようにという言葉はここでは完全に無視されているが、おそらくアントニーナにとっては矛盾はない。単純に忘れているだけなのかもしれないが、結婚を経た正式な夫婦は「夫婦の関係」であるべきで、それはアントニーナにとって自然の摂理とか真理みたいなもの、手を離したらボールが落ちるように、そうなるはずのものなのだと思う(ここを見るにどうも寝室も別のようだが、結婚前にどの程度コンセンサスが取れていたのだろうか)。アントニーナの真理は実のところアントニーナの中だけのものであり、チャイコフスキーアントニーナとは異なる人格なので当然うまくいかず、夫は首を絞めるというやはり暴力でもって拒絶する。二人は(というかチャイコフスキーは)別居し、弟を始めとするボーイズクラブに代理に立ってもらい、離婚協議を進めるが、うまく進まない。
 アントニーナの望みは金ではない。夫が「私の夫」でいることだ。だから離婚協議に応じられない。ここの場面はスリリングでめちゃくちゃ面白かった。その署名をすれば万事丸くおさまる……でもしない!(やったぜ!) チャイコフスキーの不貞という理由は名目であってもアントニーナには受け入れがたかった。これは、アントニーナが浮気されていたことになるから……ではなく、シンプルに嘘であり真理に背くことになるから、ではないかと思う。アントニーナは自分の中の真理に従う。男たちの思い通りにならない女。自分としてもアントニーナを男の側から見ている部分もあり(丸く収まってほしい欲望と打算)、自分との心の引き合いも面白かった。
 男たちに署名を促されたアントニーナはそれを拒絶し、欲望を爆発させる。私はアントニーナ・チャイコフスカヤ、チャイコフスキーの妻だ、と。いや、このセリフは、秘めた欲望の発露というよりも、結婚、拒絶、別居、ボーイズクラブの圧を経て変質した感情の激発なのかもしれない。いずれにせよ、アントニーナはここで、教会や常識といった社会通念を盾にするのではなく、そこから乗り出して自分の意思で「私はチャイコフスキーの妻である」という自己認識=アントニーナにとっての真理をガッチリ掴む。
 教会と社会通念の裏打ちを得た自分の中の「真理」に強固に閉じこもり、それを押し付けその中に囲い込もうとする女と、男同士の絆、名声、そして男性優位社会という枠組みに守られた男(たち)。「悪妻」アントニーナが押せ押せのようでいて、実際には「両者一歩も引きません!」の状態なのだ。お互い対等ではなく、不均衡な力関係の中でお互いの持つ権力のカードとガッツがぶつかり合う。これが手に汗握らずにいられようか。
 アントニーナは「夫は私のものだ」と支配欲を剥き出しにし、チャイコフスキーと男たちを振り回す。しかし、チャイコフスキーと男たちにとってアントニーナは厄介で金がかかるものの、後ろめたい私生活の一部でしかない。アントニーナにとっては「チャイコフスキーの妻」であることが全てなのに。アントニーナはボロボロになって擦り切れていき、憎悪を剥き出しにしながらチャイコフスキーの妻であることに執着する。夫が憎いのは自分を捨てたからではない。自分なしでは夫は不幸であらねばならないはずなのに、そうならなかったからだ。
 アントニーナは恐ろしい。やばい女だ。賢明ではない。しかし、自分の意思で何かをガッチリ掴む時の瞳のきらめきも、擦り切れてなお掴み続けるあさましさも、私は否定できない。


 映画の撮り方自体も面白く、最初の葬儀の場面では、死んだはずのチャイコフスキーが起き上がってなぜこの女がここにいるんだ! と叫ぶ。この段階でもう「伝記映画」から遊離している。
 場所の移動がシームレスに場面転換になっていたり、リアルと幻想の境目が限りなく薄い、というか、その二つが同じ現実の地平に並べられるような撮り方が良かった。
 その行き着く先の、ラストに近い場面、弁護士の部屋を出ていくつもの部屋を巡り、かつて見た裸の男たちに追いかけられ、ダンスをする場面なども虚実の境が曖昧で面白かった。ここはクラシックではなく、歌謡曲みたいなBGMなのも面白い。
 たぶんこの『チャイコフスキーの妻』を見た後の、病的な興奮としか言いようのない高揚はこの虚実が同じ地平にある映画のフレームからもたらされる酩酊とグルーヴ感も作用しているのではないかと思う。


 映画は時代的にもドストエフスキーの晩年にあたり、その点も面白かった。そういえば知り合いぐらいしか読まんだろうと思ってしばしば名前を出しているのだが、一応言っておくと私はドストエフスキーのオタクである。
 フランス語の使い方、列車の作り、教会、物乞いから貴族までの全ての階層が集うペテルブルグのゴミゴミした街路、地方貴族の狭苦しい家や召使の様子など色々参考になる。自動演奏の場面も面白い。教会前で「私は彼の妻だ!」と叫ぶ女の場面の予言性などめちゃくちゃドストエフスキーみがあると思う。
 チャイコフスキーの妻、目のくらんだドストエフスキーのオタクにとって息切れするくらい面白かったのだが、セレブレンニコフ監督、ドストエフスキー『賭博者』を映画化してくれないだろうか……。

 

 

先日(10/30)東京での高裁判決で、同性婚を認めない規定に違憲との判断が出ました。
訴訟は最高裁へ上告される見込みということで、目標金額を引き上げているそうです。

www.call4.jp

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arab.org

ドストエフスキーのオタクあるいは戦後に生きる人間の見た『正三角関係』

 観劇後は面白かった! という気持ちで、原作の場面を数多く抜いて法廷劇として再構成しており、時代設定的に「花火」の夢が「爆弾」の悪夢に反転するという構造も、カーニバル的法廷劇との引き合いの緊張感があって良かった。が、よくよく思い返してみるとドストエフスキーの味は薄い。

 

 まずイワン・フョードロヴィチがめちゃくちゃにならない。裁判でめちゃくちゃになってしまうイワンは『カラマーゾフの兄弟』で非常に重要な場面である。めちゃくちゃになるからではない。二律背反に囚われて悪魔の幻影まで見たイワンが、自身のプライドを越えて真実=正義を掴もうとする場面だからだ。もちろん永山瑛太でイワンめちゃくちゃ劇場が見たかったという欲望は大いにある。あるに決まっている。
 ただ、イワンは単なる秀才ではなく、無神論者でもない。明晰な頭脳で「神がいるならば、なぜ神はこのような悲惨をお許しになるのか?」と天に向かって問うた背神論者である。
 そのようなイワンならば、兵器開発に携わるという状況は、二律背反の究極的状況のはずである。だが、正三角関係の威蕃(イワン)は兵器開発に対してあまりというかほとんど葛藤を抱えておらず、むしろ兵器の完成のために兄を無罪に持っていこうとする。その屈託のなさは何なんや。
 よって悪魔もいない。父親に対する殺意もないのでスメルジャコフとの対話もない。
 最初白衣の男が出た時は「これが実はイワンの幻影だったらどうしよう……」と思ったが現実の人だった。大量破壊を可能にする方法を思いついてしまい、あるいは研究をしていて、自身の中の罪と二律背反に耐えきれず「それを命じる誰か」の幻影を見るイワン・フョードロヴィチ、ああ、破綻がやってくるわ……!! と思ったが来なかった。自分の幻影の兵器が現実の最悪の夢としてやってくるイワン・フョードロヴィチ……もいなかった。
 在良(アリョーシャ)による「墨田麝香(スメルジャコフ)は兄さんを尊敬していますからね」の発言があり、威蕃も墨田と自身の父殺しに言及したがなんとなくフェードアウトしていった。ここはさすがにいや何もないんかい!! と思った。
 そういえば小動物殺しのモチーフが墨田から威蕃に移っていて、それもスメイワを感じたが特に何もなかった。
 正三角関係にとって『カラマーゾフの兄弟』はあくまでも原案であるし、翻案作品とはそういうもので、原案の表現と比べてあれこれ取り沙汰するのは鬱陶しい行いであろう。しかし翻案として戦時中の長崎に移し、その劇中の白衣の男は幻影ではなく、威蕃は彼らと共に「お国のため」に兵器開発をしているのだとしたら、ここで描かれる「上」が空虚であるのは不気味である。具体的に言うと、彼らの動機の中には天皇の存在感がびっくりするくらい薄い。これについては脚本がどうこうというよりは、この題材の扱い辛さを感じた。

 

 イワンから二律背反がなくなり信仰の問題が問われなくなると玉突き的にアリョーシャとの対話もなくなる。第五編「プロとコントラ」はその代表的なものだし、アリョーシャとイワン、信仰の人と背神論者のヒリヒリするような対話が見られる。このお互いの魂をぶつけ合うような対話劇はドストエフスキーの真骨頂だが、『正三角関係』では法廷弁論に集約した形だろうか。イワンに限らず、アリョーシャはセラピスト的というか、誰かとの対話の中で相手の本質を引き出すような役割をしている。その彼がグルーシェンカとの対話で彼女の中に「誠実な姉」を見出すところは好きな場面の一つだ。こうした対話がないと、アリョーシャの影はどんどん薄くなる。
 これについて、威蕃が数式を書く間在良が眠っているのは「信仰」が目を閉じているから数式を書けたということではないかという感想を見かけてなるほどな、と思った。

 そうだとすれば、その数式とそれがもたらすものは大きな罪であるということは劇中で指し示されている。しかしやはりそこに対話=他者の言葉はなく、その数式を生み出す威蕃が自身の内に二律背反を抱え込むこともない。アリョーシャは誠実な他者の言葉だ。イワンというキャラクターは他者に一線を引く割にあっさりその言葉を内側に引き入れてしまうところがある。イワンはその他にも沢山の言葉(悪魔、神=信仰、スメルジャコフ)を内側に抱え込み、その引き合いの中で生きる。二律背反がないからアリョーシャ(在良)との対話がないのではなく、アリョーシャとの対話がないから二律背反がない、ということなのかもしれない。
 またイワンの話をしてしまった。
 アリョーシャ、フョードルは『カラマーゾフの兄弟』メディアミックス二大鬼門であると思っている。アリョーシャは、第一部が完結した直後に作者が死去したため肝心の第二部が書かれないままになっており、今ある原作小説の中ではいまいち主人公と分かりにくい。アリョーシャの重要エピソードである子供たちの話は、第二部の伏線なのだろうが第一部では本筋にほぼ絡まないために、時間に制限のある媒体では省略されやすい。信仰の人という性格づけも、特に日本では扱いかねているような印象を受ける。
 フョードルは、金にがめつく尊ぶべきものを尊べず、パロディ・茶化し・道化によってあらゆるものに泥を塗る人品卑しき男であるが、「クソ親父」要素を取り分けていった最後に謎の愛嬌と一片の悲しみが残る人物で、このバランスの再現が難しい。息子に遺産を分けず独り占めし、彼と女を取り合うというと何か強権的な感じがするのだが、原作を読んだ印象ではフョードルはむしろ小物っぽいし、クソ野郎ではあるが人間味のあるいいキャラクターなのだ。ところがメディアミックス作品では単なるクソ親父かただ不愉快な人物になりがち。「この父なら殺意を抱いても仕方がありませんね」のメッセージのこもった、事件を起こすための下衆さをまとわされがち。日本ではやたら強権的な人物にされがち。「仕方がない」理由を探さずに自分から殺意を抱いてけ! それが近代の幻想であっても自由意志を手放すな! ミーチャを見ろ! と思う。
 今回の舞台も、この二人については役者の味は楽しんだが、ドストエフスキーの味は薄かった。それ自体は珍しくない。一点これは……と思ったのは、在良が兄富太郎に対するインセスト・タブーかつ「聖書で禁じられている」感情である同性愛を告白する場面。これはコメディ的に描かれ後半で出てくる「もう一つの問い」から気を逸らさせる装置みたいになっていて、それはないだろう、と思った。二つ目の問いは、アリョーシャ=在良の利己心に対する問いであり、それ自体は重要だが、一つ目の問いがそれより軽いとか重いとかはない。どちらも身のうちから湧き上がる彼自身の問いだ。
 おそらく原作のホフラコーワ夫人が元であろうウワサスキー夫人はよかった。面倒臭さと愛嬌のバランスという点では、ひょっとしたら一番フョードルっぽい人かもしれない。生方莉奈もチャーミングで結構好きだったが、年齢いじりみたいなのはやめてほしかった。
 グルーシェンカも尺の問題か薄味だった。舞台でグルーシェンカとアリョーシャの対話、見たかったが長澤まさみが分裂しなければならないので致し方ない。

 

 ミーチャ推しとしては最後の場面でグッときた部分はあり、また最後の場面の後に富太郎の背負うものの重さを考えると拍手を惜しまなかったが、それは原作でドミートリイが抱えたものとは、やはり違う。
 『正三角関係』はドミートリイ=富太郎が主役なので、原作のシーンはふんだんに描かれる。そんな場面までやってくださるんですか!? というところを抜いている。前半は特にミーチャっぽい。というか最後の結審の直前までかなりミーチャだと思う。パワーに溢れ、その瞬間瞬間を本気で生きている。しょうもない男なのに、見ている方はなぜか目が離せず応援してしまう。本気で生きているので本気で下衆なこともやるしカッとなったら父親を殺しに行くが、恋情や悔悟もまた心の底からの本気なのだ。だから父親を殺そうと思ったことも、それを踏みとどまったのも本気だ。心の底からそう思っている。
 だが、おそらくドミートリイならば、兵器開発に加担することを拒んで有罪になる方を選ぶ。というかそういう流れになると思っていた。前日にそれらしいやり取りもあった。が、箱の中身は鍵か権利書か、という二択の中で何かわちゃわちゃしたまま有罪になり、こっそり釈放され、逃がされる。
 ここの部分、いまいちうろ覚えで、威蕃は兵器開発のために逃したのか、それとも兵器開発そのものから逃したのかわからない。花火師が作るのは花火だ的なことを言っていたとは記憶しているのだが、威蕃の兵器開発に対する屈託のなさを考えると「平和をもたらす」と同じ方便であるような印象も拭いきれなかった。そうであれば、『正三角関係』での富太郎の逃亡は本来の意味での逃亡ではなく軍事的制度に組み込まれていくということだ。そうでなくても、結審シーンの有耶無耶感がここで響いて、富太郎は何か大きなものに流されて、原爆被害から自分一人が逃れた……という印象を受ける。
 やや話が変わるが、原作の「童の夢」が舞台ではグルーシェンカと分け合う夢になったのはいいなあと思ったのだが、「童の夢」で描かれるのは「全ての罪を覆い隠す雪」ではなく「雪の中でなぜ子供が凍えているのか」という問いであり、むしろここでは罪は覆い隠されているのではなく顕になっている。この世の悲しみに対する気づき、それまで自分がそれを看過していたという罪に対する気づき、それに対する動揺とがむしゃらな問い、それが「童の夢」である。『正三角関係』の雪の夢は最後でもう一度リフレインされるが、それが示すのは「童の夢」とは正反対のものではないか。
 全てを覆い隠す雪の中での二人の逃亡と、みぞれが降る中で真っ黒に焼け出された母親と赤子たち。同じ夢であるが、描くものは逆である。ドミートリイはこの夢の中で「今この瞬間からもはやだれの目にもまったく涙なぞ見られぬようにする」という途方もない願いを抱き、それをすぐさま一切の先延ばしもなく叶えようとする。ミーチャは常に本気の人である。この瞬間、ドミートリイは世界に身を投じ、その悲しみに心を全身全霊で傾けている。
 富太郎とドミートリイの違いは、この世界に対する全身全霊の投げ打ちではないか。コミットと言い換えてもいいだろう。ドミートリイは神のお作りになった世界の中にあって運命を諦めない。全身全霊で動き、自分の目の前のこの世へがむしゃらに関わろうとする。富太郎とドミートリイを比べると、ラスト近くの富太郎は、やはり何か流されている感が否めない。
 これは富太郎だけでなく威蕃にも言えるし、この演劇の後半、あるいは日本人と非常に大きな括りで言ってしまえるのかもしれないが、世界あるいはこの世に対するコミット感の薄さ、は何だろう。この世や世界というのは決して抽象的なものではない。私のすぐ目の前から広がっているのだから。
 特に後半部分、話がシビアになって行くにつれて、題材との乖離が気になった。日本側における兵器開発を描いておきながら、そこに対する関わりの薄さは何だろう? この関わりとは、単なる仕事や業務ではなく、心の関わりである。兵器を開発するということ、そしてその兵器が現実に何をもたらすかということへ、自らの心を投じているだろうか。何をもたらすか、というのはもちろん威蕃が自己正当化的に述べていた「平和」ではなく、無数の殺傷である。白衣の男がイワンの幻影でないのならば尚更、それを積極的にもたらそうとしていたということを注視しなければならない。
 好意的に見れば富太郎の最後のセリフはそういうものにも取れなくもないかもしれないが、やはり全体の流れを踏まえるとどうも噛み合わないものを感じる。
 「童の夢」から覚めたドミートリイは、他者の痛みに対する苦痛と罪を感じ、「みなさん、わたしたちはみんな薄情です、みんな冷血漢ばかりだ、ほかの人たちや母親や乳吞児を泣かしているんです。しかし、その中でも、中でも僕がいちばん卑劣な悪党なんだ」と言う(このセリフ、松潤ミーチャで見たかった。これも欲望です)。他者の痛みへと開かれたドミートリイは、次に「父親の血に関しては、僕は無実なんだ! それでも刑を受け入れるのは、僕が父を殺したからじゃなく、父を殺したいと思い、また、へたをすると本当に殺しかねなかったからなんです」と言う。この二つは決して無関係ではない。「僕がいちばん卑劣な悪党なんだ」という言葉は、単なる自己卑下ではないし、高潔な人から順に並べて自分が一番ビリ、みたいなことでもない。身のうちから湧き上がる動揺と看過の罪深さを、自分が「看過する」ということをしてきたことへの罪を、ドミートリイが彼自身として全身全霊で感じていることの現れである。それと同様に、父殺しは今でこそ「かもしれない」という永遠の可能性となったが、同時にそうでなければ自分はそれをもたらしたという、自身の能動性とその先にある責任への言及である。刑法上の「犯罪と刑罰」ではなく、殺意を抱いた自分の中から湧き上がる「罪」であり、その贖いへの意志だ。そんなことを言い出したらキリがないって? しかしキリのない問いに全身全霊で身を投じようとするのもまた「カラマーゾフ的力」であろうし、これは『正三角関係』における改変の意味をも指し示す。
 原爆投下は黙示録に書かれた災厄ではなく、名と生活と肉体を持つ無数の人のもたらしたものであり、劇中で日本における核兵器の開発が描かれたならば、最後の光と焼け野原は反転して自らがそれをもたらそうとしていたのだということを指し示す。今でこそ「そうではなくなった」が、それをもたらすために威蕃たちは動いていた、少なくとも劇中ではそう描かれていた。無論兵器の威力はあまりにも大きく、あまりにも一瞬に、残酷に全てが失われる。しかし、だからこそ、それが大きな災いとして描かれ、そこから一人逃れた富太郎の独白と悲しみに焦点があたると、作品全体における兵器開発ひいては戦争そのものに対する能動的な「コミット」=関わりの罪がやや削がれてしまったように思う。


 投下された原子爆弾はその土地の全てを無差別に殺傷した。核兵器の使用はそこ/ここに住む全てのものに対する罪であり、恒久の平和は普遍の価値だ。その被害を訴え核兵器の根絶を目指すのは、やはり日本という社会共同体の役割であろう。その意味で、『正三角関係』の舞台が戦時中の日本、というより長崎である「意味」はあるし、改変の重要性もわかる。
 しかし、現代で発信するにあたって、それだけでいいのだろうかというわずかばかりの疑念が残る。戦後八十年近くが経過し、被爆者の平均年齢は85.58歳、全国で10万6825人だという(2024年9月30日 この記事を参考に表現を変更しました)。上げられた言葉を受け取り、未来へ伝えることは必要だ。しかし、それは今の私たちが、今ここから、この場所に立って、自分たちの声と言葉で言わなければならないのではないか。でなければ、名と生活と肉体を持った人の発した(あるいは発することのできなかった)肉声が、単なるメッセージに薄められてしまうのではないか。その時原爆被害を描いた作品は、過去の作品で描かれたものを引用しただけの厚みのないものになってしまうのではないか。
 アジア太平洋戦争は終わったのかもしれないが、その影響は今も残る。そして、戦争はこの世からなくなっていない。前年(2023年)10月から始まったイスラエルによるガザ地区への侵攻は、子供を含めた無数の個人に対する大量虐殺であり民族浄化であることが明らかだ。そしてイスラエルの建国自体、世界大戦前のヨーロッパ・アメリカにおけるユダヤ人排斥が背景にある。それを眺めることのできる技術とメディア網があって、それは看過され続けてきた。これは関係のないどこかの話ではない。日本は先日の国連総会で採択された、イスラエルに対しパレスチナへの占領状態を終わらせることなどを求める決議に賛成している。

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その一方、攻撃型ドローンの購入予算を計上し、その選択肢にイスラエル製の武器を上げている。

www.jcp.or.jp

私たちは集まって社会を作り、(どれほど形骸化されていようと、という留保をつけたくなるが)民主主義制度の元で国家共同体を作っている。国家は雲や風みたいな自然現象ではなく人が作ったものであり、意思決定はそこにいる人が行う。国際社会をどんどん細かくしていけば、行きつくのは個々の人間だ。だから私たちは、生きていてすでに、この世界に関わっている。そして私は、キリのない問いに身を投じきる勇気がなく、一種の薄情さを持って日々の生活を過ごしている。
 日本もまた戦時の暴力や虐殺行為、植民地支配と搾取を行った。近年、そうした暴力の歴史を隠し、なかったことにしようとする動きがあり、私は怖い。このような動きが出てきたのは、それだけ時間が経ったということを、歴史を適切に扱う蓄積を社会全体で十分になさないまま私たちが漫然と時を過ごしたということを示しているのだろう。翻って原爆については、あまりにむごたらしく全てを破壊したあれは、災厄ではなく人の営みによってなされたものだということを見つめ得るほどの隔たりが、1945年と2024年の間にはあるはずだ。もう二世代か三世代遡らなければアジア太平洋戦争の直接体験者がいない、そういう場所から言うことのできる、言うべき言葉があるはずだ。
 いや、おそらくこれははっきりと言わねばならない。戦争は災厄ではなく災害でもない。それは人がもたらした。日本にアイデンティティを持つ「私」は戦争に関与したし、関与している。そういう今に立って戦争に反対する。国の武器購入もどこかでそれが作られるのもごめんだし、使われる(使われた・かもしれない)ことに対して強い憤りを感じる。嫌だ。やめろ。今すぐに!
 私はヒステリックだろうか。それとも的外れか?
 今に作られる作品ならば、今ここからの、未来への祈りを込めて見て、何の悪いことがあるだろうか。

 

記事中の『カラマーゾフの兄弟』引用は全て新潮文庫原卓也訳です。

上 https://www.shinchosha.co.jp/book/201010/

中 https://www.shinchosha.co.jp/book/201011/

下 https://www.shinchosha.co.jp/book/201012/

 

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(以下2025/01/12 追加)2024年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会

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ぶかまを見に韓国まで行ったよ日記③

1日目・2日目のブログは以下

masainos.hatenablog.com

masainos.hatenablog.com

 

 起きたら10時だった。体力が「終わり」に近づいている気配がしたので、景福宮は諦めて北村韓屋村の散策に絞る。天気は曇りで、予報でも降水確率は低い。3日目にしてようやく雨ではない日だ!
 しかし寒い。めちゃくちゃ冴え返っとるやないか……。これも予報で渡韓前にわかっていたので、一応冬向きのものとカイロを持って来ていた。冬なのか春なのか分からないチグハグな格好で出かける。
 北村韓屋村(紹介ページ)は伝統韓屋の並ぶ地域であるが、かなり坂道がきついところにある。1日目から思っていたが、ソウルという街は坂が多く、高低差があって面白い。国立中央博物館からの眺めも面白かったが、ここも良かった(しかしこれはほぼ平地からなる土地から来たからそう感じるのかもしれない。東京に初めて行った時も似た感想を抱いた気がする)。北村韓屋村の周辺は、韓服を着て歩いている人もたくさんいて、ウロウロするだけで楽しい。
 なんとなく人の流れについて歩いていると、백인제가옥(白麟済家屋、公式ホームページ)というところに着いた。中に入れるらしい。階段を登って門をくぐるともう一つ内に門があって、庭の木々が見える。児童文学の世界みたいだなと思う。家の中には入れないものの、外から見学や撮影をすることもできる。庭も季節の花が咲いていて綺麗だった。韓服を着た人もそうじゃない人も、気に入った場所で楽しそうに記念撮影していてとても良かった。

レンガの門、内側に庭の木が見える

内門的なところ

板張りの間、奥はガラス窓。右手に彫刻入りの木製の応接セット、ゴザの上に置かれている。左手奥には棚。

居間

石の階段、庭木が二本。奥には花の咲いた木。

庭の奥の方

 目についたお店にふらっと入って気に入ったピアスを買っていると、雨が降ってきた。いや降るんかい! お店の主人が慌てて出てきて、外の商品が濡れないようにビニールをかけていた。しかし昨日のようなどしゃ降りではなく、かなり細かい霧雨である。これくらいならまあ……風情があると言えなくもないか……と散策を続ける。私は雨が嫌いなのでこれが精一杯歩み寄った感想であったが、伝統家屋の向こうに雨にけぶるソウルが見えるのは確かに素敵だった。

両側に伝統韓家の並ぶ通り。傾斜のきつい下り坂で、奥にビル群が見える。

北村韓屋村

 観光コースと市街地が接しており、ぼんやり歩いていると生活圏っぽいところに迷いこんでしまい、本格的に自分がどこにいるか分からなくなる前に大通りに戻った。雨もだんだん強くなって来ている。昌徳宮の方に気になっていた白磁のお店があり、そこへ行くことにする。
 김익영 도자예술(キム・イギョン陶磁芸術、紹介ブログ)は、昌徳宮の西側に接するようにあるお店&ギャラリーで、普段使いの器がメインであるが、鳥の置物や装飾的な花瓶、大きな壺も置いてある。
 お店のご主人に話しかけられ、意を決して日本から来て……と片言の韓国語で言ったところ、「どこから来たの? 東京?」と日本語が返って来た。大阪です。ゆっくり見ていってね〜というお言葉に甘えてお店をぐるぐる歩き回り、店に所狭しと積まれた器を見て回る。白磁は真っ白なのに影が薄青くて綺麗だ。お店にはでっかい壺が並んで置かれてある一角があり、海が並んでいるみたいだった。鳥の置物も小さいのから大きいのまで、色んな顔の子がいて可愛かった。
 買うのは家族へのお土産だけ、と思っていたのだが、どうしても気に入ったマグカップを見つけてしまう。どうも私は「真っ白でざらざらした質感の白磁」がとても好きらしく、そればかり手に取っていたのだが、持った瞬間に「好き!」となってしまった。買うつもりなかったやん……とかマグカップいっぱいあるやん……とか自分に言い聞かせてみたが無駄であった。持ったり置いたりしている時点で終わりである。太宰治の『斜陽』に「しくじった。惚れちゃった」というセリフがあるが、そんな感じだ。
 このお店どこで知ったの? とご主人から尋ねられ、ガイドブックに載ってて……と言うと、「え!? 写真撮っていい?」とワクワク写真撮影をしてらして、ちょっと重かったけどガイドブック持って来て良かったな〜と思う。しかしああ言うのって掲載したお店に連絡とかないんだろうか。
 お店を出たら雨が止んでいた……と思ったらまた降り出した。もうホテルに戻ることにする。この時点で冷えと雨で胃腸弱を発しつつあったため、コンビニで買ったお粥を食べる。かぼちゃと小豆のお粥で日本のよりもちもちしていた。
 お粥を食べるとちょっと元気になったので、ホテル近くのデザインセンターへ行く。宇宙船みたいな外観で、中に人工芝があるのがまた長期航行の宇宙船みたいだと思う。グッズだけでなく、本もたくさん置いてあって面白かったのだが、ブックデザインを見てもあまり心が動かず疲れを自覚する。適当なところで切り上げ、ホテルでしばらく「レッドブック」の予習をした。
 渡韓最後の観劇は「レッドブック」。前日までの二つは小劇場系の作品らしいが、これは結構大きなホールでやる。登場人物も多い。ヴィクトリア朝が舞台で、「女が書く」こと自体がおかしいと言われるような時代に、官能小説家として才能を発揮していくアンナが主人公のパワフルな作品だ。

Today's Cast/안나 민경아 브라운 송원근 로렐라이 조풍래 도로시&바이올렛 한보라/존슨&앤디 원종환 헨리&잭 안창용 줄리아 권보미  코렐 김연진 메리 이다정/판사 외 박세훈 서점주인 외 강동우 경찰 외 이경윤 앙상블 임수준 앙상블 박지은 스윙 김영광

キャスト表

 型破りなアンナもそうだが、脇役も皆個性が強くてパワフルだ。特に「ローレライの丘」の女たちとその主人のローレライは、アンナの元雇用主ヴァイオレットと共に「あなたの話を聞かせて」と、アンナに「書くこと」への扉を開く、物語上重要な脇役でありつつ、それぞれ個性と書く動機がしっかりあっていい。古い慣習を壊して、小さなペンで城を築く、と力強く歌う「우리는 로렐라이 언덕의 여인들(私たちはローレライの丘の女)」はとても好きな曲だ。曲も歌詞も好きだが、自らが自らのために書く、ということを宣言しつつ、「여물지 않은 문장들이 자라나는 성」(まだ熟さない文章が育つ城)と、未熟さを肯定しているところが特に好きだ。インターネットではとかく初心者を何かと「かわいがり」たがる経験者がトキワの森の虫ポケモンのごとく飛び出してくるが、彼らが口を出したがるその人は、すでに自分の城を持っている。入れるのは招かれた時だけだ。「私たちが私たちのために書くこと」の強い肯定と誇りを、それは自閉ではなくこの世界に新しい城を築くことであることを、ローレライの丘の女たちは高らかに歌い上げる。

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 ローレライは、亡き恋人の遺志を継ぎ、女たちが書くための場所「ローレライの丘」を作ったという女装の麗人である。私が見た回では、前回のぶかま公演でドミトリー役だったゾ・プンレさんがローレライを演じていた。公式のポスター(キャスト表上段右から二番目)では何となく儚げな印象だったが、黒衣のスカートを振り立てて走り回り、リヤカーをぶん回してまた走り回る、かなりわんぱくな人だった。恋人との悲劇的な別れ、という前情報から影のある感じを想像していたのだが、ローレライは初っ端から「ローレライの丘」に全力投球で元気いっぱいに動き回る。何となくであるが、「恋人の遺志を継いで」というのは、最初の始まりで動機の根っこでありつつ、ローレライ自身がそうしたいから、というところが今のローレライにとって活力の一番の源である気がして好きだった。
 本作のヒーロー・ブラウンも良かった。わりとお堅いというか良くも悪くも常識人、みたいなブラウンが、常識はずれで理解し難い人間であるアンナに惚れてしまい、自分で自分が訳がわからなくなってメチャクチャになっているのはかなりよかった。ブラウン役ソン・ウォングンさんの歌声がジェントルで危うく全てを信じてしまいそうになるので、逆に詐欺師の役とかを見てみたい。
 主人公アンナは、「あの変わった子」としょっちゅう言われる型破りな人間だ。そうしようとしているのではなく、自分でもよくわからないけどそうなってしまう。出だしから失業中でしょっぴかれたり、批評で叩かれたり、悩んだり落ち込んだりもするがへこたれない。ミン・ギョンアさんのアンナは、片時もじっとしていないような、全編はじけるような生命力に溢れているのだが、「나는 야한 여자(私はいやらしい女)」では絶望からすっと背筋を伸ばして立ち上がり、自分を維持していこうとするのが本当にかっこよかった。

youtu.be

 私は臆病で卑怯な人間だし、たぶん性質は「群衆」に近いのだろうと思う。最近こういう作品を見ると、自分は主人公とかエンパワメントされる側というよりは、「レッドブック」発売に抗議してる側に近いんじゃないかと思うのだが、それならそれで、自分に抵抗していい人間であろうとすることを諦めたくないとも思う。


 次の日はゆっくり起きてゆっくり空港へ向かう。この日は朝は曇りでだんだん晴れていった。最後の日にようやく、と思わんでもないが、雨の中スーツケースを引きずるのはちょっとなあと思っていたので助かる。
 今回は空港鉄道の直通列車の方に乗ったが、なるほど確かに快適だった。第一ターミナルと第二ターミナル、どっちで降りればいいのか分からなかったので、とりあえず第二ターミナル行きの切符を買って電車の中で調べる。
 列車の関係で早く着きすぎて時間に余裕があったので、空港のフードコートでコムタンスープのセットを食べたのだが、胃腸弱の回復食として正解だった。卵も入っているし、牛肉がかなり柔らかくなっているので、胃腸に負担なくタンパク質が取れる。胃腸弱の時は麺とか粥とかばっかり食べてるからタンパク質が不足しがちなのだ。醤油豆みたいなおかずも美味しかった。
 まだ少々時間があったので空港の本屋に寄ってみたら、ドストエフスキーの『罪と罰』が置いてあったのだが下巻しかない。やはり上巻から売れていくのだろうか。ク・ビョンモの『破果』も置いてあって、いかついピンクのかっこいいデザインだったのだが、自分と相談した末色々とキャパオーバーになりそうだったので見送る。代わりに待ち時間と帰りの飛行機で積んドルしていた『三体』(1作目)を読み終わった。しかしまだたくさん積み本があるのだ……。今回の旅行は本を持って来なかったのだが、重いというのと、積んドル崩しも目的の一つだった。
 そんなこんなで大阪に帰り着いたのだが、この日の大阪は雨だった。天気は西から東に変わるんだった、と雨に降られながら思った。